松下誠子 インタビュー Interview with MATSUSHITA Seiko

松下誠子インタビュー
2024年6月17日
神奈川県藤沢市 松下誠子氏自宅兼アトリエにて
インタビュアー:小勝禮子、川浪千鶴、吉良智子
紹介文・質問事項作成:小勝禮子
写真撮影:川浪千鶴、小勝禮子
書き起こし:木下貴子
公開日:2024年8月1日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上:自宅アトリエにて 松下誠子氏/左下:インタビュアー、小勝禮子/右下、インタビュアー、川浪千鶴、吉良智子

松下誠子 現代美術家

1950年北海道函館市に生まれる。大学入学を機に上京し、美術大学には入らず、共立女子大学文芸学部卒業後、佐藤碩夫氏に師事して金工を学ぶ。1978年最初の結婚をして翌年長女を出産、その後独学で油絵を描き始める。1984年、当時在住していた千葉県稲毛の画廊で発表。同年、三人展に参加してドラムパフォーマンスとオブジェを発表するなど、初めから多様な表現を選択。1980年代末には離婚して神奈川県藤沢市に移り、神奈川県民ホールギャラリーでのグループ展を機に、元患者から依頼され、実行委員として勉強会を重ねて1992年に国立久里浜病院現代美術展の企画に参加した。この経験も転機となったが、松下の作品は美術の技法ではなく、哲学や宗教、文学などの広範な読書から発想した思想を基盤としている。1993年現在のパートナーと再婚。1992年インフォミューズ、1994年ギャラリー日鉱、1999年ガレリアマキマイラで画廊企画による個展。90年代から、韓国、イスラエル、ドイツなど海外のグループ展に参加し、1998年に始まる《Security Blanket》というパフォーマンス+インタビューを、ドイツとフランスでも2001,02年に開催した。2000年のブラジル、サンパウロの映像祭参加を機に写真とドローイングによる映像作品の制作も始める。
パラフィン紙、水鳥の羽根、クチバシ、家、舌など、象徴的な意味を付与されたオブジェからなる松下の作品は、人間を抑圧する社会の制度や規範、言説に対してNOを表明し、そうした縛りから解放され、癒される空間をアートの力で創造することを目指している。

本サイトの松下誠子のデータベース https://asianw-art.com/matsushita-seiko/


 

小勝:6月17日、13時43分。もうすぐ松下誠子さんのインタビューを始めます。

小勝:それでは、これからインタビューさせていただきます。松下誠子さん、よろしくお願いいたします。
全員:よろしくお願いいたします。
小勝:今日は私、小勝禮子がメインのインタビュアーとして質問させていただきます。一緒にいろいろ、途中で質問を挟んでくださるお二人、どうぞ。
川浪:川浪千鶴です。よろしくお願いします。
松下:よろしくお願いします。
吉良:吉良智子です。よろしくお願いします。
松下:よろしくお願いします。

小勝:はい、それでは、今回のインタビューというのは、女性のアーティストに、今まで4人の方にお話をうかがってきたんですけれども、皆さん、ある程度、人生経験を積み、かつ作家として、アーティストとしての経験も積んでいらっしゃる方が、ご自分の生活を含めて、アーティストとしての人生を振り返っていただいて、その中でのさまざまな困難やよかったこと、いろいろな経験や思いを率直にお話しくださっていただいて…。それが次の世代の、今後アーティストになろうとする人、あるいはアーティストにならなくても美術を鑑賞をするうえでも、次の世代に役立つことがあるのではないかということを目的に、お話をお伺いしております。

松下:はい。

小勝:まず、松下誠子さんは現代アートのインスタレーションなどを中心に活躍していらっしゃる作家さんなんですけれども、まず基本的なことから伺わせていただきたいと思います。差し支えない範囲でお答えいただければと思います。まず生い立ちなんですが、いつどこでお生まれになり、ご両親はどういうバックグラウンドの持ち主でいらっしゃったか。

松下:はい。1950年、北海道の函館に生まれました。父は中学の教師です。

小勝:はい。

松下:初めは母が父の姓に嫁いだんですけれども。

小勝:はい。

松下:聞くところによると、結婚してすぐ、松下の家の跡継ぎがいなく、母の姓を名乗って、養子の形です。

小勝:あぁ、そうですか。

松下:松前の方ではたくさんの土地を持った地主のような感じで、山も何十個も太平洋側にありまして。

小勝:あぁ、松下家が。

松下:あの、父の方です。尾崎と言うんですが。父の性格というのは、とてもぼんぼんとして大切に育てられた感じです。

小勝:えぇ。

松下:そうした父の育ちの影響があるかなと、思い起こしてみたら、父の実家の女の人は、綺麗な着物を着て、踊りを踊ったりお茶をやったりエレガントに過ごしていて、それが私に対しても、よかった影響といま思い出しました。母の方は、松下の跡取りみたいな形で。

小勝:はい。

松下:うちの実家は夫婦独立採算制で、母も借家を持ってましたし、何個も。あと土地もあって地代金があったので、日常の生活は母の収入で賄っていたようです。

小勝:えぇ!

川浪:へぇ〜。

松下:父は大きな買い物と、あと本屋さんの支払いとかそういうのは父が払う感じで。家庭はそういう意味では母の発言権も強いし、とても…

小勝:なるほど。

松下:もちろん家父長制的なところも父にはありましたけれど、そんなには威張ったりしないで、みんなで話し合いで決めていくという感じでした。

小勝:えっと、お父様は学校の先生。

松下:はい、中学の数学の教師です。

小勝:数学の先生。あ、そうですか。じゃあ、お父様の教師の収入はご自分で好きにお使いになるみたいな(笑)。

松下:まぁ、本は、家族全員が2冊ぐらいずつ月刊誌を取ったりしていたし。

小勝:えぇ、えぇ、なるほど。

松下:まぁ、本代はけっこう。

小勝:お父様が出してくれた?

松下:大きい買い物で、例えば入学祝いに時計を買うとなると、時計屋さんが時計を持ってきて、みんなで選ぶような。

小勝:すごい。

松下:そんなふうに。

小勝:恵まれたご家庭ですね。

松下:いま思うと。そのときは思いませんが。

小勝:ご兄弟は?

松下:兄が2人いまして。同じ敷地内に母の妹夫婦家族が住んでいました。

小勝:はい。

松下:でも両親が亡くなったので、私が小学校高学年のときに妹が養女として入ってきました。

小勝:えっと、その両親とおっしゃるのは、お母さんの妹さんご夫妻が若くして亡くなっちゃったんですか?

松下:そうですね。その当時の結核で。

小勝:それで、そのお2人の間の娘さんが松下誠子さんの妹さんとして、松下家に入ってきた。

松下:はい。小さいときから同じ敷地内に家もあったので、姉妹のように暮らしてましたから。あと母の手伝いをする女の人が、お手伝いといっても家族同様でしたけれど、そういう女の人も一緒に暮らしていました。

小勝:1人?

松下:はい。

小勝:それはご親戚とかそういう縁者ではないんですね?

松下:はい。高校にうちから通って…

小勝:なるほどねぇ。

松下:で、うちの家からお嫁にも行きました。

小勝:なるほどねぇ〜。 それでそのご家族やご親族の中で、美術とか芸術と関わりがあった方はいらっしゃいますか?

松下:いや、子どものとき気が付かなかったんですが…

小勝:えぇ。

松下:大人になって知ったのは、父の妹は書やお茶とか、絵も描いていたようです。

小勝:はいはい。

松下:その従妹たちは美大を出て、北海道では盛んな行動展*で発表してたのは後で知りましたけれど。
*行動美術協会 1945年11月 旧二科会の有志9名(向井潤吉ほか)で創立。
https://www.kodo-bijutsu.jp/about/intent/

小勝:後でですか?

松下:えぇ、そのときは…

小勝:その父の妹さんの娘さんっていうことは従妹ですね。

松下:そうですね。

小勝:従妹さんがそういう、まぁ、画家になったわけではない?

松下:まぁ、画家っていうのか、美術教師をしながら発表はしてたみたいです。

小勝:美術教師、なるほどね。そういうやっぱり美術に興味のある家系でもあったんでしょうかね。

松下:うん…うちにちょっとした広縁、縁側の広いようなところが小さい図書室みたくなっていて。日本文学全集や世界文学全集もあったけれど、『世界の美術館』という大版のシリーズ本や『原色日本の美術』っていう30巻(小学館、1979年)、今それを私は持ってますが、原始美術から書まで、平等院とか雪舟も入っていて、そういうのもあったり。もちろん20世紀の画家の画集や美術雑誌もありました。

小勝:はい。

松下:そういうのはなんかすごい…

小勝:日常的に見てらした。

松下:はい。私は活字が好きだったので。

小勝:えぇ。

松下:そうした本を見て写してた? 描き写しですね。

小勝:なるほどねぇ。そういう画集みたいのを買ったのはお父さんなんですか。

松下:そうですね。

小勝:へぇ〜。あ、あと、そもそもお家がなんかこう洋館みたいな感じだと前に伺いましたが…

松下:洋館っていうよりも、子どものときは教会かしらと思ったぐらい、北海道なので雪のために傾斜のすごい、三角形の急傾斜の屋根なんですよね。

全員:ふ〜ん。

松下:トタン屋根で、雪がたぶんすとーんと落ちるために。

小勝:えぇ、えぇ。

松下:真っ赤だったし。

小勝:屋根が赤?

松下:赤。それで壁は鎧戸って言うんですか? こういうふうになった板。たぶんアメリカのログハウスのような家だったと思うんですが。

小勝:なるほど、なるほど。

松下:それが水色になっていて、出窓があって。いま思うとですね、やっぱり…

小勝:なんか童話の中(の家)みたいな…

松下:童話のような(笑)

一同:(笑)

松下:そのときはそうは思わないですけどね。

小勝:でもほかの同級生の家は全部そういうわけではなかったんですね。

松下:なかったですね。

小勝:へぇ〜。やっぱり、なんか特別な家のお嬢様という感じがしますけれど(笑)

松下:いやぁ、お嬢様っていう感じではないです。

川浪:文化教養度がすごく高い家。

松下:いやいや、そういうふうでは…う〜ん、でもいま思えば、父と母は政治経済をしゃべって本についても話すし…

小勝:えぇ、えぇ。

松下:兄はジャズとタンゴと本が好きで。

小勝:そもそもお兄さんとはどのくらい(年が)離れていらっしゃいますか?

松下:上はもう10個、離れてますから。

小勝:あぁ、そうですか。じゃだいぶもう(違います)ねぇ。

松下:洋画やその映画の話、うちの中ではそういう会話があったので、家の中の方が刺激的で。

川浪:(笑)

小勝:そうですか。へ〜。

松下:家の方が面白かったかな。

小勝:つい去年亡くなられたっていうのは?

松下:建築家です。

小勝:次男の方ですか?

松下:そうですね。

小勝:次男が建築家になられた。はぁ〜。

松下:そうですね。

小勝:なんかすごい、都内でかっこよく、ね、あの外車を乗り回して(と伺いました)(笑)。

松下:まぁ、なんでしょう。仕事はけっこう公共的な建物の設計をしていて。でも、やっぱり変わりもんかな。小さいときはかなり変わり者でしたが、大人になってそんなに変わり者には見えなかったですが、生き方は変わっていたかもしれないですね。

小勝:次男の方は何歳くらい上なんですか。

松下:8歳上ですね。

小勝:あぁ、だいぶ。じゃあ、(誠子さんが子どもの時にはもう)大人というか(笑)

松下:そうですね。

小勝:じゃあ、あの、妹さんになった元従妹さんですか。そういう姉妹ができて嬉しいみたいな感じがありましたか?

松下:いや別に嬉しいとかじゃなくて、同じ敷地内で育ってたので。

小勝:もともと、一緒に、えぇ。

松下:母も私に洋服を作るときは、妹の分も養女になる前から作っていましたし。

小勝:なるほど、なるほど。もともと姉妹みたいな感じで…

松下:そうですね。幼稚園にも一緒に行ったんですが。私は一日で退学してるんですけど(笑)

一同:(笑)

川浪:トットちゃんみたいに?

松下:そう、妹と2人でバスケット持って。遺愛幼稚園というミッション系のがあって、そこに。

小勝:え? 何幼稚園?

松下:いあい、遺愛幼稚園*。
https://iaikids.jp/ 

松下:一日、行ってつまんなくて。バスケットを持って行ったんですけど、妹と一緒にもう帰るって言って、一日で退学して…

小勝:(笑)

川浪:自主的に?

松下:自主的に退学してきて。

川浪:すごい子ですね。

小勝:いや、私も実はそうなんです。

松下:そうですか。

小勝:1日で。

松下:1日で! えー、おもしろいですね。

小勝:私の場合はあの、もともと一人っ子で人と付き合うのが苦手で。そんなところに行って、ほかの子どもがいっぱいいるのがいや〜って。

松下:いや、よかった(笑)

小勝:(笑)

川浪:もう行かないって?

小勝:言い張ったかどうかは知らないけど、「1日でやめちゃったんだよね」って後になって言われて。

松下:親は無理やり行けっては言わない。

小勝:言わない。

松下:うちも言わなかったです。

小勝:あのお母さんのご両親、お祖父さま、お祖母さまは同居はされてなかったんですか?

松下:本当にまだ小さいときは、確か祖父はいたような記憶があるんですけれど、祖母はもういませんでした。

小勝:あぁ、そうですか。

松下:母から聞くとかなり厳しい母親だったと聞いてますけどねぇ。

小勝:あぁ、そうですか。じゃあ、そういうあの祖母や祖父の思い出っていうのはまったくないわけ。

松下:ないですね。父の方も、名前を呼んだり膝に抱いたりという感じではなくて。もう厳格で。

小勝:よく、あのふつうはおじいちゃん、おばあちゃんが甘やかしてくれる…

松下:もう、ぜんぜん。

小勝:(笑)

松下:物を渡すときでも、ひざまずいて渡さなければ受け取らないような父方の祖父でした。

小勝:え〜。

松下:だから自分にとっては、祖母や祖父というのはまったく体験がないですね。

小勝:あぁ、そうなんですか。あの、その父方の祖父、祖母は別の家に当然暮らしてらっしゃる。

松下:松前にいたので、いまは函館から松前までは便利になってますが、当時は汽車で行かなきゃならないところなんです。

小勝:えぇ、えぇ。なるほどね、それでそういう比較的ね、画集が小さい頃から好きなように読めたとか、そういう恵まれた環境だったそうですが、いつ頃からその美術を意識して、絵描きになろうとかそういうような気持ちを持ったきっかけが何かありましたでしょうか。

松下:あります。小さい頃から、写生っていうんじゃないんですね、全体を描くんじゃなくて、パーツパーツを描き写すのが趣味みたいで。

一同:ほー。

小勝:画集をですか。

松下:画集もそうですし、日常のものもです。

小勝:この辺の、日常の人物を。

松下:なんでも描く。人の顔でも。小学校に行っても、授業中も先生の顔を描く(笑)。 消しゴムも描く、泥まで描く。木の年輪も面白いと思って、もうとにかく何でも描くんですよね。

小勝:じゃあ美術の授業っていうか、小学校は図画工作でしょうけど、成績はよかったですか?

松下:学校から出すコンクールで、いつも総理大臣賞や文部大臣賞で日本一になるんですよね。

小勝:すごい(笑)。

松下:ずっと日本一で。うちではよかったとかそういうことは、いっさい言わないんですが、学校や町からは天才少女扱いされて…書も習ってました。

小勝:えぇー。

松下:書は兄妹全員で、父親が落ち着きのある子にということで。私は20歳前半まで続けて。

小勝:あー。

吉良:長いですね。

松下:書も好きで、賞ももらったりしたり、師範まで取ったんですが。

小勝:えぇ。

松下:その先生が日本画も描かれていて、墨絵を教わりました。学校ではそうやって賞をとるんで「英才教育だ」と言って。残されて「絵を描け」と言うんですよね。

小勝:えぇ〜。

松下:そういうの、つまらなくて。

小勝:それは小学校でですか?

松下:そうです。でも描き写しは好きで中学ぐらいまでやってました。夜は毎日、いま以上に絵を描いていました。

一同:う〜ん。

松下:まぁ、水彩ですけどね。

川浪:描き写しっていうのは…?

松下:模写です。描き写しは日中で、本を読んだり、夜みんなが静かになったら、水彩で画用紙に。うちは本と絵の具に関しては父の承諾なくても、勝手に本屋さんから持ってきてもいいという家だったので。

小勝:(笑)。

松下:絵の具を食べるのかと言われるほど、毎日絵を描いて。宿題はなるべく学校で終えて、学校もわかってるから認めてる。中学でも昼休みや放課後で宿題を終えて、極力描いてました。

小勝:えー、それは小中学校ですか?

松下:はい。

小勝:公立の学校で?

松下:公立です。えぇ。

小勝:高校は?

松下:高校は北海道立高校で。

松下:昔の旧制中学で、結構バンカラでした。

小勝:函館高校ですか?

松下:北海道立函館中部高校です(北海道函館中部高等学校*)。伝統校なので…
*http://www.kanchu.hokkaido-c.ed.jp/

小勝:進学校ですね。

松下:進学校ですね、完璧に。市内では中部というと尊敬されます。(笑)

小勝:へぇ〜、じゃあ勉強もできたんですよね。

松下:いえ、中学校のときまで勉強した記憶がないですけど。

小勝:(笑)。勉強しなくてもできた。

松下:母親が、「勉強して中学校ぐらいでいい成績じゃ話にならない」とか言うんですよ。

小勝:なるほど。

松下:母の前では、勉強しないふりするっていうのか。なんか変なんですけど。

小勝:すごい(普通と)逆ですね。

松下:逆なんです。

小勝:勉強なんかしてできたって駄目だと。もう自然にできないと、できて当たり前だと。ほぉ。

松下:「勉強してできるようじゃものにならない」とか言うんですよね。

小勝:(笑)

川浪、吉良:ふーん。

松下:勉強しろとは言われないですが、ただ「今は何の本を読んでますか」というのは必ず…

小勝:お母さんから?

松下:母から必ず質問がきて。でも本も読んでましたから。

小勝:えぇ、えぇ。

松下:まぁ、本で衝撃はいっぱい受けましたし。

小勝:その頃は例えばどういう本を読んで。

松下:一応、文学全集とかは全部、好き嫌いがなく読むというのがあって。

小勝:そういうのもおうちにあるわけ?

松下:ありました。そのほかに兄の本箱にもいっぱいありましたし、あと雑誌もとってるし、新聞も読まなくちゃいけないし。活字が好きっていうか。

小勝: なるほどね〜。

川浪、吉良:ふ〜ん。

松下:活字病みたいに活字を追ってると、ほっとするんですよね、活字病ですね。

川浪:(笑)

小勝:そういうのはそれこそもう生まれつきっていう感じですか? お兄さんとかお父さんとか、お母さんとかからの影響っていうのはないんですか。

松下:いや、みんな読んでるから。

小勝:みんな読んでる、あぁ。

松下:当たり前のような。たぶん読んでる姿というよりも本の話が出るので、それを知らないと恥ずかしいような「まだそれも読んでないの?」と言われるので。読んでおかないと話についていけないので、読んだような気もするし。ど〜かな。

小勝:高校では美術は授業ではあったんですか?

松下:選択でありました。女子がすごい少ない学校で、男子が多いんで。

小勝:旧制中学だからね。

松下:なので、美術を取ったの私ぐらいかな(笑)。

小勝:女子では。

松下:先生に美大に行くようには進められてましたけど。

小勝:それにもかかわらず、あえて美大には行かなかったそうですけれども、その理由は何ですか。

松下:えっとね。そう…

小勝:その文学的なもの(志向)も関わるんですかね? えっと共立女子大の何科ですか?

松下:文芸学部なんですけど、行きたくて行った学校ではないです。

小勝:えぇ。

松下:高2の終わり頃に福永武彦の『ゴーギャンの世界』*という本、上下を読んだんですが、そのときに、今までは絵というのは線と面と色彩でできていると思ってたのが、そこで初めて、あっ絵っていうのは哲学だなっていうことに…
*福永武彦『ゴーギャンの世界』新潮社、1961年

小勝:なるほど。

松下:ようやっと気づいて。

小勝:ようやっとっていうか、早いですよね。

松下:いや、そうですよね。

小勝:(笑)

松下:ゴーギャンの絵がどうのっていうんじゃなく、あの中で、そこまで人生というか、生き方や哲学を知らなければ、絵は描いちゃいけないんだというふうにすごく思って。このまま美大なんか行ったら、なんかダメになるような。

小勝:すごいですね(笑)

川浪:すごい、どうしてそんな風に思えるんだろう。

松下:いや、たぶんこんなの変なんですけど、あまり天才少女とか言われてると、なんかね。いま聞くと笑われてしまいそうなんですけど…

小勝: いいえ。

松下:例えば、ピカソとかそういうものを超えなきゃいけないのかなと。

小勝:なるほど(笑)

松下:超えれないとも思うし、なんていうのかしら…

小勝:若くしてこう使命感みたいな…

松下:そういうものがあるような、いま思うと本当に呆れた感じなんですけどね。でもそういうものを感じて、何かを見出したり達成しなきゃいけないという気持ちはあったような気がします。かなり生意気ですね、そのとき。

小勝:いやいや。それで大学で上京されたわけですよね。

松下:その、大学のときも父は「女の人を大事にしない学校は駄目だ」って言うんですよ。

小勝:あぁそうなんですか。男尊女卑、家父長制と言いながら、結構女性の権利は…

松下:父はすごいですよ。そういうところ。

小勝:認めてらっしゃいます?

松下: 家でよく手伝いますしね。家事もしますし。

小勝:あぁ、そうなんですか。

松下:威張ってないですしね。とくに女の人には。兄は上智大でしたから、上智の外国人の先生もうちに遊びにきたこともあったので、上智がいいんじゃないかと。

小勝:あの、長男さんの方ですね。

松下:そうですね。「上智大なら女の人を大事にする」と言って、でも落ちゃったので。

小勝:共立に、まぁ女子大…

松下:滑り止めを受けたところに行って。

小勝:これは浪人とかしないでですね。

松下:しなかったですね。

小勝:はいはい。えっとじゃあ、ふつう順当にというと18歳で1968年ですかね。

松下:そうですね。

小勝:大学入学で上京した。はい、どうでしたか、その東京に出て。あ、お兄さんとかはもう東京にいらしたんですね。

松下:はい、そうです。渋谷にちっちゃい、ちっちゃい家を親が借りて。

小勝:はい。

松下:そこに兄妹で暮らして。私は管理っていうのか、お金の管理をしました。

小勝:お金の管理を!え〜(笑)。お兄さん2人ともそこにいらしたんですか。

松下:いました。母からは「家計費からお洋服を買ってはいけません」という通達が来ますけど。

小勝:あの食事とかは、あの家事は…?

松下:家事もします、兄たちも手伝いますし。いい加減ですけどね。

小勝:でも毎日の食事の支度とかは。

松下:いや、私も兄たちもしましたしね。

小勝:あぁ、そうですか。お兄さんたちもできるんですか?

松下:できます。でも一応私が管理者なので…

一同:(笑)

松下:お金を握るうえで重要なので。財布は握っておきたいから。

小勝:お買い物とかは誠子さんがされた?

松下:しましたね。きちんと。

小勝:じゃあ、あの、お兄さんお2人も家事ができるっていうのはそういうふうに躾けられたわけですか?

松下:はい、そうです。うちではある学年まで、学校行く前に、玄関に水が打つところまで全員で掃除をして、それから学校に行くというふうに、父の考えで。だからみんなで家事をします。

川浪:もともとそうなんですね。

松下:母が一生懸命、汗水垂らして家事労働したのは見たことないですね。

小勝:え〜そうですか、素晴らしいですね。 え〜、えっとそれで誠子さんとしては大学で初めて東京に出てこられたわけですが、何かこう驚いたことっていうか、北海道との違いは(ありましたか)?

松下:いや、もう驚いて驚いて。保守的っていうよりも、まず封建的でもう。

一同:(笑)

松下:すさまじい封建制とあと、なんだろう…

小勝:なるほどね。

松下:男尊女卑? 今どき使わないけど、男尊女卑っていうのが。

川浪:今も使えますよ(笑)

松下:すさまじい男尊女卑で、それが一番…。

一同:(笑)

松下:それがショックでもう。

小勝:それは松下家が特別だったのか? あるいは函館はわりとそういう…

松下:たぶん函館がそうだと思います。

小勝:あの、男尊女卑が少ない?

松下:函館は夫婦のどちらかが、特に男の人が奥さんを亡くすと、だいたい同棲するか再婚します。うちの叔父も叔母が死んだらすぐに初恋の人と同棲をして、最期まで看取ってもらいました。お客が多いうちだったので、そういう話を聞いていましたから。父の友人は奥さんを亡くしたあと、上品な人がいいと言ってお茶の先生と同棲したら、堅苦しいから今度は違う人と同棲して…

小勝:(笑)

松下:なんか日常にそういう会話を、ず〜っと子どもの時から聞いていて。まぁ、そういう風習があるんですね。

小勝:うん。

松下:全部が平等とは言えないにしても、自分の意見は自分で発言していましたし、函館の人は。

小勝:女性も。

松下:はい。東京へ来て、言いたいことを発言すると怒られたり。ノーはノーというように教育されたのにノーが言えない。

小勝:え〜。

松下:それから一番驚いたのは、女の人まで保守的だと。同性の保守性っていうのか。みんなでご飯食べに行ったら、いそいそと男の人のなんか、あれ…

川浪:あ〜。

小勝:取り分けたり。

松下:それが美徳のように、お酒を注いだりとか、そういうこともショックでした。

小勝:あぁ。

松下:私はもう唇噛んで。「注がれることはできるけど、注ぐ教育は受けてない」とか言って。

小勝:(笑)。でも女子大でいらっしゃったけど、男子学生と付き合う機会もあったんですか?

松下:ほとんどないんですが、エスペラントクラブに入っていて。

小勝:あぁ。

松下:エスペラント学会に入ってましたから。早稲田や慶応の人たちもいまして。

小勝:なるほど、それは大学のサークル?

松下:サークルですね。あと兄の友だちとか、女の人もいろんな人が泊まりにくるんですよね。

小勝:女の人も(笑)

松下:みんな泊まりにきて。気が付いたら、こたつに知らない人の足があったりとか。

一同:(笑)

松下:楽しいですけど。

小勝:なるほど。で、そういう中で大学を卒業されて美術を学ぶというのはどういう経緯に?

松下:まぁ、美術はやろうと思っていたんですけど、アルバイトで、名前はちょっと忘れましたが、金工で手広く教室もなさってるし、コマーシャルやカレンダーなどのデザインを金工で作る仕事もしている…

小勝:金工のデザイナー。

松下:デザイナーです。その人は理科系で絵が描けないので、カレンダーなどのイメージ画ですか? そういうアルバイトを。

小勝:そういうのを描くアルバイト?

松下:たまたまなんですけど。

小勝:それは大学時代からですか?

松下:大学の後半からですね。描き写すのが得意なので描けるわけですよね(笑)。指輪も発注するときに、山梨県の職人さんに出すために、ここに真珠があってここに琥珀があって、そういうデザイン画を職人がわかるように立体図や断面図で描く…

小勝:すごいですね(笑)

松下:それは描き写しのおかげで、別に勉強しなくてもできるので。

小勝:へぇ〜。

松下:そういうアルバイトでけっこういい体験が出来て、篠山紀信のカレンダーの撮影で立ち会うとか…。

川浪:それも金工デザイナーの仕事の関係で?

松下:はい。金工で作るのもあるし、安い時計でドレスを作って撮影するとか、そういうのもあって。そうこうしてるうちに、その先生が(私を)スタッフとして育てようと思ったようで、佐藤碩夫*さんという方、藝大で講師なのか教授なのかわからなかったですが、一つのサークルを作ってくれて、お金も出してもらって勉強することになりました。金工だから鍛金も入りますけども、エッチングも入ったり。
*佐藤碩夫(?―2016)東京芸術大学助教授

小勝:えぇ。

松下:その先生は「いいものは何でも見ろ」と言うので、みんなで、先生も含めて美術館以外にも博物館や、それから能とかいろんな…

小勝:あー、勉強しに行った。

松下:刀鍛冶も行って。その後で議論するんですね、それが私の美大だったと思うんですけど。

小勝:それは大学を卒業してから。

松下:してからです。それが、いまになってためになったかなと思います。刀鍛冶の現場を見て、それで美とは何か、刀の美しさ、何を持って美というかという議論をいっぱいして。佐藤先生のほかに絵を描いてる先生もいたりしました。

小勝:あぁ、あぁ。

松下:それで、議論をして考える力っていうのか? 美について考える力みたいのは、随分役に立った。 今できているかどうかは、わからないですけども。

小勝:いえいえ。で、そういう中で金工の作品みたいなものも作っていたんですか、その頃。

松下:作っていました。コンクールにも出したことはあります。

小勝:えぇ〜。で、そこからいつ現代アートの方に転換した?

松下:金工家になろうとはぜんぜん思ってなくて。やっぱり最終的には絵を描く、絵描きとか。アーティストっていう言葉はなかったんですが、絵を描く人になりたいとは思っていたので。

小勝:えぇ、えぇ。

松下:で、結婚して…

小勝:(絵を描く前に)結婚されたの?

松下:20代後半で。

小勝:20代後半、正確にわかりますか?(笑)

松下:正確にねぇ。ん〜っとね。

小勝:70年代。

松下:えっと、78年ぐらいだったと思います、結婚したのは。

小勝:最初の結婚、はい。そのきっかけというか、まぁ、結婚しようと思われたのは。

松下:結婚しようと思ったのは、あの〜、週3回は自分がご飯作って、週4回は私がご飯を作って、同棲のような結婚をしようと言われたので、それならいいかなと思って…

小勝:相手はどういう仕事…?

川浪:絵を描いている人ですか?

松下:いや、絵を描くような人でなくて。建築関係かな?

川浪:ふ〜ん。

小勝:建築関係。どういうきっかけで知り合われたんですか(笑)。

松下:バイト先だったと思いますけど。

小勝:なるほどねぇ。

松下:アルバイト先だったと思うんですが、私は、そんなに男の人と付き合ってなかった。初めて付き合った人かもしれないです(笑)。あんまり経験がなかったので、それでちょっとほだされた感じで。

小勝:じゃあ結婚されて、渋谷の家にその頃はまだ結婚するまでは住んでらしたんですか?

松下:そうですね。それから結婚して、

小勝:別のところ(に移った)?

松下:はい。子どもが生まれたので。

小勝:あぁ、そうですか。それってすぐにですか?

松下:はい。それをきっかけに金工に通えなくなったし、子どもを産んだので「よし、絵だぞ」と思ったんですね。「さぁ、絵がスタート」と…

小勝:でも逆に言えば子どもが生まれると、っていいますか、妊娠中から大変だと思いますけど、絵を描く時間っていうか、そういうのは…

松下:いや。

小勝:取れるんですか?

松下:生まれてから1年ぐらい経って、ちゃんと取るように自分でしましたけれど。努力をするとか。

小勝:なるほど、なるほど、それはそうですよね。それで最初のお子さんが、最初のお子さんっていうか、お子様はお一人でいらっしゃる?

松下:はい、そうです。

小勝:えっと生まれた年っていうのは。

松下:えっとね、翌年に生まれたと思います。

小勝:じゃあ、79年。

松下:えっと(結婚が)78年だから79年に生まれました。

小勝:はいはい、なるほど。でも、まぁ、生まれてすぐはね、しばらく1年ぐらいはできなかったと。

松下:でも一応、夫に月に1回か2回、休息日って言うんですか、 を要求したんですよ。

小勝:(笑)。すごい!

松下:やっぱり、しなきゃと思って。

小勝:うん、うん。

松下:で、その休息日は朝から夜まで休息日っていうふうに…

小勝:お母さんの休息。

松下:はい、交渉しました。

小勝:母の仕事しない。

松下:しない。一切しないと。それで東京に行って、絵を描くためにクロッキーの会に行ってみたら、運よく、今でもお付き合いがあるんですけれど、木版をやってる女の友だちができまして。

小勝:え? 何さん?

松下:畔上さん。

小勝:畔上さん? 畔っていうのは、あの田んぼのですか。

松下:田んぼの。畔上志づ子さんと出会いまして、一緒に展覧会を見に行ったりして。

小勝:いま東京に行くっておっしゃいましたけど、じゃあお住まいは東京じゃなくなったんですか?

松下:そのとき千葉になりました。

小勝:あぁ、そうなんですか。

松下:もう一つよかったのは近くに、近所のお友だちが絵に通ってるところがすぐ近くにありまして…

小勝:千葉の。

松下:千葉の稲毛に移ったときに、近くに、赤瀬川原平さんが(関わった)昔、ダダイズムの運動がありましたよね。

小勝:ネオダダ。

松下:元ネオダダだったという方の、そのときは油絵を描いてたようですが、スタジオが本当にうちの近くにありまして。

小勝:稲毛の。

松下:そうです。その友だちについてって、そこで絵は描いてなかったから、教わってはいないと思うんですけれども、そこで60年代、70年代の日本の現代美術の話をたくさん聞くことができて。

小勝:なるほど、その方の、その元ネオダダの人の名前は覚えてます?

松下:石橋別人*さんです。
*石橋清治(のちに別人と改名)。「ネオ・ダダイズム・オルガナイザー」の創立メンバー、第1回展に出品。のちに、「平和を願う千葉県美術家の会」の創立メンバーともなる。吉野辰海オーラルヒストリー第2回を参照。
https://oralarthistory.org/archives/interviews/yoshino_tatsumi_02/

松下:その人がやった仕事は、ご本人から聞いたんですが、大きい紙を道に敷いて、その上をトラックで走らせてタイヤ痕をつけたという…。

小勝:へぇ〜。

松下:その方からいろんなアートの情報というのか…

小勝:なるほど。

松下:歴史を聞くことができました。ふっと思ったのは、そうした話を聞いて、何で表現するかわからないと思ったんです。絵なのか何なのか。だけど、そのときに油絵は教養だと思ったんですよ。

小勝:うん。

川浪、吉良:ふ〜ん。

松下:絵を描く人、アーティストになるには油絵は教養だと思って。1年間でたった2枚なんですけれども、油絵を描き始めました。

小勝:へぇ〜。

松下:高校のときに買ってもらった油絵の道具があったし、稲毛の画材屋のおじさんに根掘り葉掘り、絵の具の特性やオイルの特性を聞いて、聞きまくりました。

小勝:じゃあ、独学という感じですかね。

松下:そうです。絵が2枚出来あがって、1年かかってできた。知り合いの人が「公募があるから出してみない」と言われて、出しみたらなんと大賞じゃなく、副賞を取ったんですね。

小勝:えぇー、なんの公募だったんですか。

松下:わかんない、覚えてないんですよ。

小勝:それは東京ですか?

松下:東京です。そのとき表彰式のようなのがあって、その審査員の中に、えっとあの人、外国人とあの人、白っぽい、この間亡くなった方、抽象を描く…

川浪:え? 日本人ですか?

松下:日本人です。だれだったか…。

小勝:野見山暁治?

松下:あぁ、野見山暁治さん。

一同:へぇ〜。

松下:野見山暁治さんと外国人のアーティストの方が審査員に入っていて、すごく絶賛されたんですよ。

小勝:すごいですねぇ。

川浪:へぇ〜。

松下:その大賞の人が「10年、絵を描いてます」と言って。「初めて」なんて言ったら無礼だと思って「私も10年やってます」って(笑)。

小勝:(笑)。いやいや、「生まれてから」を言えば(笑)。

松下:いや、もう悪いと思って。

小勝:それが80年代初めぐらいですか?

松下:そうですね。

川浪:ふ〜ん。

松下:ようやく油絵はたった1年ですけど、なんとかやって。

小勝:まぁその、えっとすみません、油絵やるところに行っちゃいましたけど、まぁ、1年間はお子さんを育てる、育児に専念されたんですね。

松下:えぇ、もちろんもちろん、はい。

小勝:もうお一人で、子育てをやってたわけですか? 夫も…

松下:夫は…

小勝:週に1回は手伝ったわけですか(笑)

松下:夫は、やっぱり最初に結婚するときに言ったように、家事に関しては、自分の休みのときは料理もしますし、子どもの面倒も率先してやってました。

小勝:あぁ、そうですか。

松下:あのー、私が絵を描かなければ、それだけで平穏な生活で…

小勝:(笑)

松下:ただすごくつまんないんですよ。

小勝:(笑)

松下:なんというか、私も悪かったと思うんですが、私も装っていい人ぶっていたというところもあって、うまくいくために。本当の突っ込んだ話もしていなかった。でも思想的にはそんなに違いはなかったはずなのに。

小勝:うん。

松下:まぁ、平凡に平穏に、というのはこういうものかという感覚はありました。

小勝:その〜失礼ですけれども、その後、その結婚生活がもう終止符というか、離婚されたわけは?…

松下:はい。離婚前にも展覧会に誘われたりしていました。小さい画廊の展示ですが…。この辺は(履歴に)*載せなくてもいいぐらいの小さい展示を…
*松下誠子、ジョイス・ラム「あなたが眠りにつくところ」展図録、藤沢市アートスペース、2023年、pp.44-45、松下誠子略歴。

小勝:1984年(が初個展)。

松下:そうですね。ちょっと自分で油絵を描けるようになったと思って。

小勝:「同感現象」という個展をもうされたわけ?(画廊コスモス、千葉)

松下:このあたりで、80年代…

小勝:84年(画廊コスモス)、86年(画廊ニケ)、これは千葉の稲毛の近くですか?

松下:そうでした。小さいところで、知り合いに「やらない?」「気楽にやらない?」という感じでやってたんです。

川浪:最初の個展ですよね。

松下:はい。その後、友だちに連れられて、JAALA展*と从(ひとひと)展**を観に行ったときに、針生一郎さんと話をしているうちに「出さないか」って言われて、JAALA展に出したんですね。
*JAALA美術家会議 日本、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ美術家会議。針生一郎の主導で1977年に結成。1978年の第1回展以後、隔年で国際展を開催。現在に至る。
**从(ひとひと)会 1974年第1回展を7人の画家で開催。1976年第2回展以後、メンバーを変えて東京都美術館で開催。現在に至る。

小勝:JAALA展。

松下:そうです。日本・アジア・アフリカ…

小勝:はい。

松下:けっこう硬派でした。

小勝:はい、はい、今もやってますよね。

松下:東中野にある左翼系の新日本文学会にも行きましたが。針生さんと何人かで丸木さんに会いに行ったりもしました。

小勝:丸木夫妻、えぇ!

松下:丸木夫妻にお会いできて嬉しかったです。从展に出されてましたものね。(丸木位里、丸木俊は第2回展から出品)

小勝:もうあれですかね、丸木美術館はできてましたかね*。
*1967年「原爆の図丸木美術館」が埼玉県東松山市に開館。

松下:わかんないですが、多分。

小勝:でも、あの東松山に行かれたんですか。

松下:はい。お母様の絵も飾ってありました。

小勝:スマさん*。
*丸木スマ(1875-1956)70歳を過ぎて1948年頃から絵を描き始めた素人画家。身近な植物や動物などを描き、院展や女流画家協会に発表し人気を呼んだ。

松下:その後に、個展の話がありまして、…このときまだ自分の中で個展をやれる意識はなかったんですが、針生さんの息のかかった銀座にある画廊で「個展をやらないか」と言われまして。

小勝:(略歴の1990年に個展をした)ギャラリー檜ですか?

松下:そこじゃないとこなんですよ。やることになったんですが、地上げ屋が入って、画廊のあるビルが取り壊しになることになり、お金を出すから自分で好きなとこを選んでやっていいと言われたので。

小勝:え、それは誰が?

松下:その画廊が。

小勝:画廊の人がお金を出す、珍しいですね(笑)。

松下:名前がどうしても思い出せななくて。

小勝:えぇ、えぇ。

松下:針生さんの息のかかった作家がやってる画廊です。

小勝:えぇ。

松下:ギャラリー檜は今の場所ではなくて、道からす〜と搬入出来るスペースでした。その頃の檜は立体の作家が多かった気がします。

小勝:あぁ、そうですか。

小勝:あの、昭和通りの北側でしたっけ?

松下:はい。

小勝:そうですよね。はいはい。

松下:いいなと思う、木村林吉さんやいい作家がやってましたし…
*木村林吉(1916-2013)高知県出身の画家、1980年代から紙や木の立体作品を制作。

松下:サトル・タカダ*さんとか、骨太の彫刻をやってる人が多い画廊で、いいかなと思って。
*サトル・タカダ(1943- )彫刻家。パブリック・アート、環境彫刻を手掛ける。

小勝:当時はあの、松下さんもそういう立体っていうか、彫刻志向だったんですかね。

松下:はい、この時は確かレリーフ状の作品でした。84年に「三人展」*で、このときに初めて立体をやったんです。
*Art Mus 野外展 三人展「ドラムパフォーマンス+オブジェ」(姫宮、埼玉)

小勝:野外展だったんですね。

松下:野外ですね、

小勝:えっと、埼玉県の姫宮*ってこれは地名ですか?
*埼玉県南埼玉郡宮代町字姫宮 姫宮神社がある。

松下:地名です。

小勝:なんのパフォーマンス?

松下:廃材を使って立体をつくるということになって。でも金工をやっていたので、金工の世界は狭いですが、構造はわかるようになっていたんですね。構造していく形はわかったので、そんな大変だとは思わなかったです。

小勝:うん、うん。

松下:自分でも驚いてるんですけど、なんでパフォーマンスにしたのか、我ながらびっくりしました。

小勝:ドラムパフォーマンスっていうのは誠子さんがやったんです?

松下:はい。

小勝:ドラムもやったんですか。

松下:私が叩いてるわけじゃないですが…、高校のときブラスバンドに入って、ドラムやっていたから。

小勝:えー、そうなんですか!(笑)

松下:高校は女子は少ないので、女子を入れると廃部にならないですむということで、誘われたんですよね。ドラムをやっていました。自分でもパフォーマンスの何かも知らないし、見たこともなかったのに、なぜ自分がやったのか、驚いたのは自分で。

小勝:つまりこう身体芸術、踊る感じだったんですか?

松下:自分で…、音楽のプロは入れないで。何名かの観客、観客といっても少ないんですけれど、1人が、いま思うと共感現象なのか? 音を出したら隣の人はその音に応答するように、という指示を出して。決してリズムは作らない。私はそこで踊ったんですよね(笑)

小勝:(笑)

川浪、吉良:ふ〜ん。

小勝:このとき一緒にやったほかの2人っていうのは男性なんですか。

松下:1人は畦上志づ子さんで、もう一人は主催者の男の人。

小勝:撮影の人が男性。

松下:そうです。その人に誘われたんですね。

小勝:その人たちとはもう付き合いはないですか。

松下:畔上さんとは付き合いはあります。

吉良:踊りっていうのはどういうタイプなんですか?

松下:踊りといっても、その音に合わせて自分が身体を動かしていくというか…、私は人見知りだったのに。

小勝:(笑)

松下:恥ずかしがりやのくせに、自分でもひっくり返りましたけど。

小勝:でもその後も89年には、横浜市民ギャラリーで「Art Beyond the Limits」っていう展覧会、翌年も含めて出品してますが、これは依頼があって出品したんですか?

松下:依頼っていうか、アーティストの自主企画です。

小勝:横浜とか神奈川県民ギャラリーとか、当時お住まいはまだ千葉だったんですか? 89年、90年は?

松下:藤沢にいました。ちょっと待って、神奈川は…89年あたりは離婚してますね。

小勝:あぁ、そうですか。 離婚されたのはいつですか?

松下:いやぁ、覚えてないですね(笑)

小勝:(笑)。この作家活動をするようになって擦れ違いが大きくなったんですか。

松下:いやすれ違いというよりも、絵を描いてもいいけれども、相手にとっては知らない世界なんですね。自分とまったく違う…。

小勝:なるほど。

松下:育った環境も違って、知らない世界に自分の妻がいるということが、想像できないわけですよね。それで話し合ったんです。うちの母や実家は「あなたのやりたいことをさせないなら、すぐ家を出ろ」というぐらい怒って…いや、私は「待て」っと言って。

一同:(笑)

川浪:例のお母さんの言葉ですね。(『わたしたちの女たちの発言/すべてのわたしたちの女たちの枕』、松下誠子編、2024年)

松下:兄たちも「やりたいことやらせないなんて冗談じゃない」と。だけど私は話し合いをしたんです。話し合えば話し合うほど溝が深まっていく。通俗的だなと。通俗的な人は、近所の人がいいというのが自分の判断になる。結婚するときはまだ若かったし、理想論も言えたし。でも結婚してみたら、この人と一緒に生きられないと。でも話し合って話し合って、結局は結論は向こうが出しました。

小勝:別れるという。で、お子さんは誠子さん(の方に)?

松下:そこで問題だったんですが、もう親は「とにかく出てこい」「子どもは裁判で取る」と言うけれど。

小勝:(笑)

松下:私はそうはいかないと思って。もう頑張って、親権は向こうに渡す代わりに子どもはどうしても私が引き取るということで。

小勝:そういうこともできるんですか。?

松下:話し合いで。

川浪:親権を渡す…

松下:でも親権を渡すといっても、名前だけです。

小勝:あぁ、苗字。

松下:そうです。大変だったのは、私は松下に戻りましたが、学校で親と名前が違ってたら子どもはかわいそうなので、教師や校長に交渉して、子どもにも松下の名前を名乗らせてほしいと。

小勝:それはなかなか複雑でしたね。

松下:ミステイクがないようにと。教師がミステイクをして、子どもが傷ついたら大変なので。だからそれは頑張りました。

小勝:その離婚されたのは、じゃ、こういう89年のグループ展とか始まる前ですね。

松下:前ですね。

小勝:それで引っ越しされた。

松下:引っ越しました。

小勝:どこに?

松下:藤沢に引っ越し。

小勝:あ、そのときもう藤沢に引っ越された。

松下:妹が藤沢だったので。

小勝:あぁ、そうですか。

松下:まず妹のところに身を寄せた感じです。

小勝:あぁ、なるほどね。その何よりも、お子さんが小さいときに離婚されて、かつアーティスト活動もするとなると育児が一番大変ですよね。

松下:そうですね。

小勝: それは妹さんがある程度サポートしてくれたんですか。

松下:はい。自分の中で子どもが一番というランク付けをして。その中でできる範囲でやったので。

小勝:あー、なるほど。

松下:仕事もしましたし。お勤めの形ではないですが。

小勝:どういう形の仕事をされたんですか。

松下:そのときは英語の講師や家庭教師をしました。

小勝:えぇ、なるほど。この頃お嬢さん、お嬢さんですよね? まだ10歳くらいかと思うんですけれども、じゃ、そういう英語の講師などをされてる間はどこか預けるとかされたんですか?

松下:妹が近かったので、妹のところに預けて。展覧会をやってもあまり遊びにいくことはしないで。

小勝:飲み会とかは行かない。

松下:飲み会とかは行かないで。

川浪:妹さんは結婚されていた?

松下:独身です、ずっと。すごく妹が力になってくれて。

小勝:えっと、そうしますと、じゃあその後、離婚されて子どもさん、娘さんは自分で育てると。

松下:はい。

小勝:えっとそれでは藤沢で新しい生活を、娘さんと2人で。まぁ妹さんのサポートもありながら始められて、アーティストとして活動していこうとそのとき決められたわけですか?

松下:そうです。

小勝:で、その後の活動というのは、何かこう転機になるようなものは。

松下:そうですね…、作品の中で転機というと、92、3年? 作品は変わるんですよね。

小勝:はいはい。

川浪:この久里浜病院現代美術展って…?

松下:こんなのをやってたんです。これは93年かな。その前のはこう、こんなのが。(挿図1)

 

挿図1 《untitled 》1989年、木、段ボール紙、油彩、368×288×61 cm

 

 

小勝:これは素材は何ですか?「Art Beyond the Limits」展(神奈川県民ホールギャラリー、1990年)の出品作品ですか?

松下:はい、これは合板です。このとき、朝日新聞の美術欄に舞台装置みたいな作品といわれまして。高さ3m、横4 m、幅は60cmぐらいです。

 

小勝:これが「Growing Forms」展の出品作品(横浜市民ギャラリー、1991年)?(挿図2)

 

 

 

 

挿図2《Silence》1991年、木、ファイバー、オイル・ステイン、木炭粉、 サイズ不詳

 

松下:そうですね。これは合板でボートを逆さまのように作り、麻布を貼り、木炭の粉を振りかけて。

小勝:この辺は素材は何ですか?

松下:これは韓国の展覧会*に持っていた作品なんですけど。(挿図3)

 


挿図3《Silence #1#2》 1992年 オイルステイン、木炭、パステル、紙 各 74.5 ×105 cm
*「方法作家会議国際交流展」ソウル市文化芸術振興院、韓国、1992年。「日本生成展」チョンオン・ギャラリー、釜山、韓国、1992年。

 

 

 

川浪:すでに立体や平面を組み合わせた、なんか構成的なものをやってらっしゃいますね。

小勝:そうですね。

川浪:最初期からそうだったんですね。

松下:92年あたりに、自分の作るものがインプットされたもの、見てきたもの、インプットされたものではないか、もともと核なんかはないにしても、自分の本当のものなのかどうか疑うようになったんですよ。

一同:う〜ん。

松下:毎回、疑っている(笑)。それで1年か1年半ぐらい、毎日アイデアみたいなドローイング、イメージ画を描いて、でもそれは使わないと決めて。もしカラカラになって何も出なくなったら、そのときは作るのはやめようと思って。でも、カラカラになったあとに、頭に水がはいるようにバーって湧いてきたのがこの作品なんですよ。これだったんですよね。(挿図4)

 


挿図4《球に向かう瞬間の中有》The existence of the Impulse Facing the Circle 、1993年、セメント、蔦、灰、オイルステイン、鉄、各270×78×74㎝

一同:あぁ。

小勝:これこの間、Facebookにもあげてましたよね。

松下:はい。カタログがあったはずなのに。

小勝:ギャラリー檜。93年の(個展「球に向かう瞬間の中有」)。

松下:そうですね。檜と縁が結ばれて。

川浪:球(たま)に向かう瞬間の?

小勝:球ですか? きゅうですよね。

松下:「きゅうにむかう」。『チベット死者の書』に影響を受けまして。

小勝:え?

松下:ユングやチベット密教に惹かれていましたので。

小勝:こちらも同じタイトルで、こちらはギャラリー日鉱ですね。(個展「球に向かう瞬間の中有」、1994年。パンフレットを見ながら)(挿図5)

 


挿図5《球に向かう瞬間の中有》The existence of the Impulse Facing the Circle、1994年、鉄のスタンド(32×170×65㎝)×13、セメント、蔦、灰、ガラス、木、フランネル、樹脂、蝋

 

 

 

松下:そう、ギャラリー日鉱は100坪ぐらいのところだったんですよね。

小勝:このなにしろタイトルが観念的というか、すごい…。

松下:呆れたような…、こういうのを付けなきゃよかったと思う(笑)。

小勝:(笑)。「球に向かう瞬間の中有」、「ちゅうゆう」と読むんですか?

松下:ちゅうう。

小勝:中有*とはどういう意味ですか?(笑)

松下:肉体の機能を失って生から死、そして死から新たな生へのプロセスのことなんですが。
*中有(ちゅうう) 仏語。四有 (しう) の一。死有から次の生有までの間。人が死んでから次の生を受けるまでの期間。7日間を1期とし、第7の49日までとする。中陰。

小勝:えー!

川浪:これも仏教用語ですか?

松下:仏教というか『チベット死者の書』に出てくるんです。

小勝:なるほどねぇ。

松下:これがぽっと降り立ったもので。好きとか嫌いとかではなく、イメージとして頭に浮かんできたので、とにかく作ろうと思った。なんの素材で作るのかも、ぴっときたんですよね、セメントで。これは大きい蔦なんですけれど。

小勝:そのセメントと鉄っていうのだと、いかにもなんかこの当時、ある程度トレンドでもあった重厚長大な彫刻作品、立体作品かなとは思うんですけれども、そこに蔦が入ってるところがなんか…

松下:うん、そうですね、蔦が。

小勝:こう、オリジナルっていうか(笑)。松下さんらしいところなんでしょうかね。

松下:セメントでやろうとか、鉄でとか、最初は素材から入ってないので。

小勝:あぁ、そうなんですか。

松下:よく思ったら、これは脳に近かったんですよね。自分の。

小勝:脳のイメージなんですか、その球が。

松下:球が。

川浪:ふ〜ん。

松下:それからイメージが降りるような体質になったのかと思うんですよね〜。これは自分の脳をCTスキャンで撮ってもらって。

 

 

 

 

 

 

 

挿図6 《untitled 》1994年、鉄枠(46 ×33.5 × 7 cm)× 4 、フィルム(ライト付き)

小勝:え〜。

松下:これは自分の脳をドローイングしたんです。写真のフイルムに。

小勝:あぁ、このタニシマギャラリーの。

松下:はい。

小勝:これは「Coupling」ですかね。(個展「Coupling」、タニシマギャラリー、東京、1994年)
脳の作品。へぇ〜、よくそういう脳の写真など、その(入手されましたね)。

松下:その前に、久里浜病院でやったので。

小勝:はいはい。

松下:国立久里浜病院で制作のために、とお願いしました。

小勝:えぇ。

川浪:はいはい。

松下:この作品を毎日観に来るおじさんがいたんですよ。(「Art Beyond the Limits」展、神奈川県民ホールギャラリー、1990年)

小勝:あー。

松下:寝っ転がって。

小勝:あぁ、そうですか。

松下:毎日受付にケーキを持ってくるんです。そのおじさんは、関内で明治からやっているレストランのオーナーだったんです。

小勝、川浪:へ〜。

松下:貴邑さん*という方なんですが、その方が「生きててよかった」って言うんですね、これを見てね。
*貴邑満義 レストランKIMURAオーナー

川浪:へぇ〜。

松下:びっくりして。久里浜病院の元アル中患者で、その人が久里浜病院のアル中患者にも観せたいと言うんですよ。それで貴邑さんが院長さんに交渉して、久里浜の病院内で…

小勝:なるほど。

松下:現代アートをやるという話を持っていったんです。
*「DOME式ドキュメント3 国立療養所久里浜病院/現代美術展「クリハマ・マインド」、『DOME』1993年8号、pp.14-19。

小勝:ふ〜ん。

松下:この貴邑さんっていう方のお姉さんは、上智大学でソーシャルワークのことを教えてる方で、「兄のような元アル中患者が言うことに、アーティストが乗るなんて考えられない」というんです。(その方が)「私がサポート役に入ります」ということになり、そのときの院長は河野さん**で、周辺からはきちがい病院って言われていて、バス停が3つあるぐらいの広大な国立病院*です。まだ病院で現代アートをやるのは珍しいことでした。
*国立療養所久里浜病院 1963年 7月に国内初めてのアルコール依存症専門病棟を設置した。現在は、独立行政法人国立病院機構久里浜アルコール症センターとなる(2004年より)
**河野裕明 国立療養所久里浜病院院長、慶應義塾大学医学部客員教授、世界保健機関アルコール関連問題研究研修協力センター長

小勝:えぇ、当時はそうでしたでしょうね。

松下:WHO世界保健機関(WHO)に河野さんが出席するときに、資料にもなるということもあって、決まりました。お金も断酒会などからの寄付が集まりました。私も実行委員として、医者でもない私たちの作品を患者が最初に観るわけなので、1年間毎月1回、精神科医と勉強会をすることにしました。私の「Security Blanket」はここから始まるんですが。

一同:あぁ〜。

松下:また、病院にも通ってアル中患者の人たちと交流もしました。この病院の特徴*は、依存症患者は私服を着て病院の中をウロウロしてるんですよ、卓球をしたり。
*「久里浜方式」と呼ばれた。閉鎖病棟から解放病棟にして、患者の人権を保護して自治会を作り、患者の自主性を伸ばしていく方式。

小勝:うん。

松下:週に1回は通って。

小勝:うんうんうん。

松下:1年間、勉強して。

小勝:えぇ、えぇ。

松下:で、やっと展覧会になったんです。

小勝:その、私たちというのはこの神奈川県民ホールギャラリーで展示した人たちですか?

松下:いいえ。

小勝:そもそもそ神奈川県民ホールギャラリーで展示した松下さんの作品、それを観て貴邑さんが素晴らしいと感動して。

松下:えぇ。

小勝:えぇ。だから、誠子さんだけではなくて、ほかに参加した人はどういう人ですか?

松下:今の、一緒になった夫も入ってました。

小勝:あぁ、そうですか。それは神奈川県民ホールギャラリーとは関係ないわけですか。

松下:関係なく、実行委員みんなで選出しました。参加者はけっこう面白い作品を作っていました。

小勝:あぁ、そうですか。

川浪:さっきの勉強会はみんなが参加して?

松下:いや、実行委員とほんの数人の希望者だけです。

川浪:実行委員はどういう人が?

松下:私と鈴木明*さんという、もう亡くなった彫刻家ですが、全部で4人でした。「なぜここで展示をするのか」、やる意味を確認したいという気持ちがあって、また医者でもない私たちが患者を助けられるわけもないので…その辺はずいぶん考えたり悩んだりしました。
*鈴木明(1953-不詳)彫刻家。1989年第1回横浜彫刻展YOKOHAMA BIENNAL「ヨコハマビエンナーレ’89」受賞。

小勝:ちょっとおっしゃいましたけれども、その今の夫さんとはいつご結婚されたんですか。

松下:結婚っていうのかな? 入籍したのは後です。一緒に造形屋をやったりしていました。

小勝:造形屋?

松下:造形屋として、つまり 職人として、NHKに入ることができて、朝ドラや大河ドラマのセットなどつくりました。

一同:へぇ〜。

松下:あと舞台など。

小勝:舞台装置みたいな?

松下:そう、舞台装置ですよね。そういうのやったり。

小勝:そういう職業の方?

松下:スタッフはぜんぶ作家の人がやって。

小勝:あぁ、そうですか。

小勝:誠子さんは何でそういうグループと関わりを持つようになったんですか?

松下:今の夫と展覧会で知り合って(から)。

小勝:それでじゃあ、あの、今の夫さんはそういう、やっぱりアーティストであって造形屋の仕事をしている方なんですか?

松下:そうです。今の夫は学生運動をやってた人。

小勝:あぁ、そうですか。

松下:真言密教のお寺に生まれて、仏教大学で東洋哲学をやってたせいか、フェミニストなところもあって…

小勝:あぁ、そうですか。どこのご出身なんですか?

松下:夫ですか? 鎌倉です。

小勝:そうですか。

松下:母親が自立したフェミニストのような生き方だったので、そういう面でも。

小勝:気が合うというか。最初の夫のようなこととは違う。

松下:まったく違うというか、夫の両親は離婚してたのですが、父親は僧侶でしたが、そのあと大学の教授になり、母親も別れてから踊りの家元として自由に生きていて。

小勝:あ、そうなんですか。

松下:解散!っていう感じで。私にとってもそういう面では楽でしたね。

小勝:特に最初はこう結婚っていう形にしないで、付き合ってというか同棲というか。

松下:私は、とにかく結婚はしたくなかったんですよ。

川浪:(笑)

松下:コロコロ名前を変えることがまずどうしても。最初は変えましたが、まず名前を変えたくないというのがありまして。

小勝:今に至るまで(日本の法律は)そうですからね。呆れたことにねぇ。

松下:とにかく名前を変えたくなくて。でも世間的に私はいいんですけど、夫の方は単なる同居人ではないかとか言われて。保守的ですよね、アーティストだって中には…

小勝:えぇ、えぇ。

松下:そういう外圧っていうのがあって。うちの中はいいのに。それで「私は名前を変えるのが嫌だ」と言ったら、向こうが「自分が名前を変える」と。

小勝:あ、そうですか。

松下:それでも、出したくないと思いましたけど。

小勝:その入籍を?

松下:入籍はしたくないと思ったんですけど、しょうがないです。

小勝:その娘さんとの関係はどうだったんですか。

松下:まぁ、最初はなかなか難しいかったですが。

小勝:娘さんはこの頃は大きくなってたんですか。

松下:えぇ、でも前から何度も遊びにきたり出会ったり、私も娘をけっこう連れて歩いてましたからね。どこ行くにも。

小勝:そりゃそうですよね。ほったらかして1人では置いておかれませんからねぇ。

松下:置いておけないんで、極力連れて歩いていました。

小勝:えぇ、えぇ。じゃあ、顔見知りではあった?

松下:もちろんそうですね。娘と夫の境遇が重なるとこもあって、夫の両親も早く別れて、子供の取り合いで、父親の友人のお寺に預けられたりした体験もあったから。

小勝:夫さんが?

松下:そういうのがあるので、娘に対する理解もあったし。

小勝:それでも彼の方が希望して。

松下:夫は社会的にそういう外圧を受けるんですよね。

小勝:なるほどねぇ。何年頃ですか、それは。90年代?

松下:そうですね、90年代ですね。

小勝:う〜ん、ちょっと広いんですけど、もう少し絞れませんか?(笑)

松下:入籍したのは、そうですね…

川浪:この展覧会の頃だったという感じで思い出すのはいかがですか?

小勝:久里浜病院のときは?

松下:いや、そのときはまだ入籍はしていないですね。

小勝:じゃあ、ギャラリー日鉱の…

川浪:94年の。

松下:そのときに入籍は…、そのあたりですね。

小勝:あぁ、そうですか。

松下:日鉱のちょっと前かもしれないですね。

小勝:日鉱の前くらい。

松下:なるほどね。

川浪:93年頃。

小勝:はいはい。

松下:93年だと思います。

小勝:それで私ちょっとたまたまメモを書いていたんですけど。93年にはセゾン美術館と佐賀町でアンゼルム・キーファーの「メランコリア 知の翼」っていうすごい大きな展覧会があって、かなりこう、みんなオ〜っていう感じで影響を受けたと思うんですけど。それでその時期の誠子さんの作品はどちらかというとやっぱりセメントとか、灰とかガラスとか、鉄の台も使ってるし。やっぱりあのモチーフは似通ってるところがあるんですよね。その辺は全然、そのときはキーファーはまったく(意識しませんでしたか?)…

松下:全然、全然。

小勝:あぁ、そうですか。

松下:まったく意識してなかったですね。

小勝:へぇ〜。いや、あのちょっと引っ張られるところが、もしかしてあったのかなと思ったんですけど。

松下:いや、まったくなかったです。

小勝:ないですか。じゃあ、全然それ(キーファーの展示を)見てないですか。

松下:見てないです。

小勝:へぇ〜。

川浪、吉良:あぁ。

松下:日向あき子さんが県民ギャラリーを観に来たときに、無意識というようなことを書いてくださって。そのときにスケールは小さいけれど、アバガノヴィッチのようだと

小勝:なるほどね。

松下:ちょうど日本でアバガノヴィッチの展覧会*があったせいかな…
*「アバカノヴィッチ展 記憶・沈黙・いのち」セゾン美術館、滋賀県立近代美術館, 水戸芸術館, 広島市現代美術館、1991年。

小勝:うん。それでこの90年代はこのギャラリー日鉱でやられたのも、これ非常に大きな、会場広いところだし。

松下:100坪もあって。

小勝:(川浪、吉良に)ギャラリー日鉱に行ったことある?

川浪:覚えてます。

小勝:誰か(の展示を)見ました?

川浪:誰かと言われるとあれだけど、福岡の、九州関係の作家の展覧会もやったことあるんで。ちょっとグレードの高い空間。

小勝:これは誰の推薦でやることになったんですか?

松下:これは突然、電話がかかってきたんですよ。

小勝:えー。

松下:はじめ断ったら、びっくりされて、「断らない方がいいですよ、みんな喜ぶんですよ」と。

小勝:(笑)

松下:「すさまじい大きいポスターができるんですよ」と東郷さんが。

小勝:(大笑)

川浪:東郷典子さん! 思い出した。

松下:東郷さんが驚いて「断る人なんかいない」って言うんですよね。

小勝:(笑)

松下:東郷さんは新潟のお寺さんのお嬢さん。

川浪:そうです、そうです。

松下:だから、こういう私の作品は東郷さんじゃなかったら選ばなかったと思うんですけれども。

川浪:ドクメンタで彼女と一緒になったときに、(将来)寺を継ぐんだという話は聞きました。

小勝:へぇ〜。

松下:東郷さんとデザイナーの人と一緒に、このスペースを買ったばっかりのときに来てくれて。

小勝:あ、こちらのこの(アトリエにいらした)。

松下:ドローイングを買って励ましてくれて…東郷さんがそれから毎日電話をくれて。展覧会までよく電話をくれたと思うぐらい。

小勝:(笑)

小勝:それで90年代、誠子さんはイスラエルから始まって、ずっとドイツとかブラジルとか海外のグループ展が続いているようなんですけれども、履歴を見ると。これはどういう経緯で?

松下:ギャラリー日鉱でやって。それからタニシマギャラリーは日鉱の前ですね…

小勝:タニシマ。あ、それともう一つこのインフォミューズ?

松下:あ、インフォミューズでは本当にお世話になって。このあいだ2月に個展をやった画廊のプロデュースが谷村悦子さんで。インフォミューズのオーガナイザーでした。吉川紙商事が持っていまして。

小勝:インフォミューズを。

松下:インフォミューズを。そこは洞窟みたいな、子宮の中のような空間で。

小勝:このインフォミューズっていうスペースが。

松下:そうですね。カタログは作りませんけれど、搬入搬出から撮影からすべてインフォミューズが持ってくれて、よくしていただいた。

小勝:谷村さんがこのインフォミューズで働いていらした?

松下:はい、オーガナイザーです。谷村さんはインフォミューズがなくなった後は、角川出版で翻訳の仕事をなさって。私のテキストの翻訳は、全部谷村さんがサポートをしてくれてます。

小勝:この前の太郎平画廊*とか。
*個展「良心を探して―落下する玩具」、太郎平画廊、東京、2023年

松下:はい、あれも谷村さんがプロデューサーで。

小勝:それとあの新宿のギャラリー*もそうなんですね。ずっとお付き合いがある。
*個展「中庭の束縛」、フジギャラリー新宿、東京、2024年

松下:一番作品を観ている、あのロマーナという娘さんがいて。

小勝:娘さんも。ロマーナ何さんでしたか?

松下:ロマーナ・メイチン・谷村*。家族全員で、どんなグループ展でも家族行事にして来るんです。「すいません、家族行事で」と(言いながら)。
*谷村メイチン ロマーナ(1998- )。東北芸術工科大学院芸術文化専攻複合領域修了。キッチュでポップな作風の若手アーティストとして活動。

松下:欠かさず観てる人になります。

小勝:一番の理解者ですよね。

松下:そうですね、ロマーナも大学の間は来れなかったですが、一番観てる人かな。

小勝:(笑)。それで、その海外の展覧会に次々呼ばれたっていうのは?

松下:イスラエルの方は、エルサレムにあるアートハウスミュージアムの学芸員の人に、谷村さん経由で選ばれました。

小勝:あぁ、そうなんですか。

松下:インフォミューズ、いい展覧会やってたんですよ。出品者の何パーセントかはコバヤシ画廊が関わっていました。

小勝:あ、そうなんですか。

松下:私が呼ばれて観に行ったときは、諏訪直樹さんをやってました。「あ、ここ、やってもいいな」と思って。

小勝:それがその洞窟みたいな。

松下:洞窟みたいなところで。会期は2ヶ月ぐらいの展示で。

小勝:あー、インフォミューズって私はちょっと記憶ないんだけど、川浪さんは行ってる?

川浪:いや〜、場所どこらへんですか?

松下:人形町にあって。自社ビルの隣のビルです。

小勝:なるほどね。

松下:そこから話がきて、「作家を探してる」ということで、選ばれました。キュレーターの人に、1ヶ月前にイスラエルに来て、現地で制作しないかと言われましたが、それは子どもがいたので。

小勝:あぁ。

松下:子どもがいて断るっていうのは、ほかにもありましたが…そういうことはできなかったんですよね。

小勝:なるほどねぇ。

松下:そういうのはぜんぶ断らざるをえなかったです。

小勝:そうですね。

小勝:それからドイツが続く。

松下:ドイツは、これも突然なんですが、インフォミューズに資料が欲しいと電話があったそうです。

小勝:みんなインフォミューズ経由なんですか?

松下:その頃、インフォミューズでやってましたから。

小勝:なるほど。

松下:そのときは韓国からの話もあって、一応断ったら、キマイラの大岩さんが車で飛んできて「やりなさい!」って、「なんで断るの?」と怒られて。

小勝、川浪:(笑)

松下:そうか!と思って。

小勝:そもそも大岩紀子さん*といつからの付き合いなんですか?
*大岩紀子(1940-2012) ギャラリー、アート・プロデューサー。ガレリア・キマイラ(大田区久が原、1981-2003年)主宰。

松下:大岩さんは、キマイラで展覧会をやる前からの友だちでした。

川浪:ですよね。99年ですもんね、キマイラ(での個展)が。

松下:キマイラでは展覧会をやってないのに、インフォミューズの展示には、シュークリームを持って手伝いにくるんですよ。

小勝:(笑)。その頃はもう久が原のキマイラはあったんですか?

松下:そうです。大岩さんも「なんで松下さんをやらないの?」と言われてて、私も「なんでキマイラでやらないの?」と言われ、別に友だち同士だからやるという意味はないよねと、気には留めてなかったんですよ、お互いが。

小勝:1981年に始まってますね、キマイラは。

松下:はい。大岩さんはちゃんと観に来たりはしてるのに、展覧会をやる発想はしてなかった(笑)。

小勝:本当ですね。1999年にやっとやることになった。

松下:ドイツに出すための作品や他のものも作っていたんですが、大岩さんがここに見にきて、ちっちゃい声で「申し込みます」と言ってるような…、「えっ?」て。娘もいたんですが、なんか言ったような、でもよく聞こえなかったので、スルーしてたら、夜、大岩さんから電話がかかってきて「うちでやるのは不服か」って。

小勝:(笑)

松下:「聞こえた?」って言うから、「いや、なんか言ったようだけど、聞き違いかなと思って」と言ったら、「申し込みます」と言った。

小勝:(笑)。面白いですね〜。

松下:(大岩さんが)何を見たのかというと、そのとき、おばあさんシリーズを作っていたんです。ドイツの展覧会もおばあさんの顔を描いて出しましたが、日本じゃまったく、まったくウケないですね(笑)。

小勝:そうですよね。これがそうなんですか。(挿図7)

 

挿図7 《untitled (ケルン)》、1998年、パラフィン紙に貼付したフランネル、油彩

松下:そうそう。

川浪:それ、おばあさんなんですね。

松下:おばあさんといっても年配のおばさんです、大岩さんがおばあさんというのでつい…。これはキマイラの…(『ガレリアキマイラ』キマイラ宝船計画、2014年、pp.64-65)

小勝:そうです。

松下:おばあさんの、キマイラの写真がありますよ。

川浪:おじさんもいると勝手に思ってました(笑)

 

松下:キマイラ本にはネル地の作品は載ってないけれど、これですよね。これはおばあさん。*
*「双つの通い路」松下誠子展レビュー、鷹見明彦、『キッチンキマイラ』17号、2000年1月1日、pp.5-8.

小勝:これは『キッチンキマイラ』*ですか?
*ガレリアキマイラの発行紙。キマイラでの展覧会に合わせて評論家に批評文を依頼した。常に和英バイリンガルで掲載。’vols.1-26,1992-2005

松下:そうです。 ドイツの初めての展覧会*もおばさんです。
*「Tokyo Rooms」, Galerie Article、ケルン、ドイツ、1998年

小勝:あー、そうなんですか?

松下:ネル地に油絵の具で描いて。

小勝:え〜。

松下:これパラフィンワックス。

小勝:ドイツで初めて?

松下:三田村光土里*さんと…
*三田村光土里(1964- )。現代美術家。https://www.midorimitamura.com/
 このサイトでのデータベース https://asianw-art.com/mitamura-midori/

小勝:はいはい、そうですか。

松下:中村ケンゴさんと須田真弘さん。三田村さんも出品しているのは、「Tokyo Rooms」1998年でした。なんか日本で受けないですが…

川浪:ふ〜ん。

松下:向こうの画廊は広いので、一人が一部屋を使う感じでした。

川浪:おばあさんのポートレイトの、モデルは?

松下:モデルは、神社に行ったり…、鎌倉だから散歩といったらお寺さんですが。

小勝:なるほど。

松下:神社に行ったときに、信心深いのか信心深くないのかわからないですが、ツアーで年配の女性が来てますよね。すごい興味深くて。キリスト教でもそうらしいですけど、夜は飲んだり食べたりして楽しむ。ツアーで神社に来る年配の女性や周辺ですれ違った女性、そういう人たちの写真を撮って使いました。

小勝:もうクチバシが出てきてるんだ、ここで。(挿図8)

 

 

 

 

 

 

挿図8『キッチンキマイラ』、p.8。嘴の作品は《Beak》

松下:早かったんです、クチバシは。こっちかな?

小勝:作風がこのあたりから今のものに近くなってきてる感じですかね。ワックスがでてきたり。

松下:「球に向かう中有」は好き嫌いではなくやった。でもこれ以上やってもパターン化するだけだと思ったんです。 パターンとして終わっていくと。それを変えるだけでは、自分のやる仕事ではないと思ってやめました。
それから黙々と制作をして、今はその貯金というか、その基盤でやってるようなところがあります。ワックスをやったり、まだパラフィン紙は出てきてないですが、ネル地で衣服を作る、これがパラフィン紙の原型になりました。

小勝:あぁ、そうなんですね。ネル地の…この時期に。

松下:キマイラの会場の床の作品もおばあさんなんですよね。(挿図9)

 

 

 

 

 

 

 

挿図9『キッチンキマイラ』p.7

一同:へぇ〜。

松下:日本だとぜんぜん相手にもされなく、理解もされなくて。

小勝:あぁ、これがそのねぇ。

松下:大岩さんが「どうしてたの?」っていうぐらい、分からないと言うそうです。おばあさんは駄目なのかっていう感じで。

小勝:このへんですね。

川浪:今見たらすごい面白いっていうか、かっこいいんですよ。このポートレイトとか。

小勝:いいですよね、本当にね。ご自身のヌードとドイツの風景が(被って)。(挿図10)

 

挿図10
《Daily-a》、《Daily-e》1999年、コダックエクタカラープリント 各  75×107 cm 『キッチンキマイラ』、p.6に掲載。

 

 

松下:これ、ルクセンブルクです。

小勝:あ、ルクセンブルク。

松下:ケルンから車で3時間ぐらいの…

川浪:ポートレイトのこういうシリーズ、のちに若い作家もいろいろやるけど、それよりもっと早い時期にこれだけの仕事を…

小勝:この写真が二重に写ったっていうのはフィルムの巻き戻しの術なんですか。

松下:それはドイツに行ったときのフィルムを使ったので。

川浪:二重露光をしてしまった。

松下:そう、ちょうど神がかりみたいに、この風景とこの風景の溝の中心が入ってるんですね、自分の顔が。びっくりしました。

小勝:なるほどね。すごいですね。

松下:その球の脳のときも、バッシングじゃないんですけど、BT(美術手帖)からの話もあったんですけども、「文章は書けない」と言うんですよ。

小勝:あぁ。

松下:英字新聞1面いっぱいでいくと言って、評論家とカメラマンの方が来て。でも「文章は書けない」って言うんですよ。
94年にタニシマギャラリーに取材に来て、読売の英字新聞に載せたいといって。

川浪:載せたいけど、書けないって?

松下:「文章が書けない」ので、写真だけになりました。また他では前例がないとも。佐倉市立美術館とも打ち合わせをして、美術館にも行ったんですが。「カテゴライズができないので、何のカテゴリに入れていいかわからない」と言われて。どんどん話が来てもどんどん潰れていくんですよ。あの評論家のMさんにも(そう)言われて、なんだろう?「暗黙の了解がある」と。冗談じゃないと思いましたね。

小勝:暗黙の了解っていうのは、その…

松下:「美術において前例がない作品」だって言われたんですよ。見たことがないと。

小勝:えぇ、えぇ。

松下:美術は暗黙の了解で成り立つと、それからMさんに案内状を出さなくなったんです。

小勝:(笑)

松下:そういうことを言われまして。

小勝:それで逆にドイツとか海外の方で発表をするようになったんですか。

松下:いや、それは自分から行ったんではなくて、タイミングがよかった。ドイツは、まだ面識のないプロデューサーの人から。プロデューサーと他のメンバーは面識のある親しい関係のようでしたが、もう一人足りなかったんじゃないですかね。

小勝:(笑)

松下:私を推薦したのは折元立身さんのようです。*。
*折元辰身(おりもと たつみ)(1946-2024)現代美術家。パン人間のパフォーマンスなど。

小勝:あ、そうなんですか。

松下:パフォーマンスの。

小勝:折元さんとはいつからお知り合い?

松下:えっと、久里浜のときに折元さんも参加してました。

小勝:あぁ、そうだったんですか。

松下:ギャラリーK*って今でもあるんですけど、最初はそこでお会いしました。
*ギャラリーK 現代美術の研究会を母体に1981年創立。企画と貸画廊。当初は赤坂。1985年銀座に移り、2007年京橋に移る。http://galleryk.la.coocan.jp/second/aboutk/aboutk.html

小勝:ギャラリイK。えぇ、えぇ。

松下:南さんという方がいたときに、私の企画をしてくれまして。(個展「微笑」ギャラリイK、1992年

小勝:あー。

松下:その当時のKはとても面白くて。みんなの溜まり場で、Kに行けば誰かに会えたり。

小勝:当時は銀座じゃないとこですよね?

松下:いや、銀座でした。

小勝:銀座でした、もう?

松下:銀座でしたね。

小勝:吉澤美香さんと前本彰子さんも二人展*やってらっしゃる。
*「女の子は水でできた身体」ギャラリイK、1982年。当時は港区赤坂にあった。

松下:えぇ、そうなんですか。折元さんもやってました。集まってはみんなで神田の画廊に行くとか、どこどこで面白いのやってるよとか。評論の人も学芸員の人も来て議論やってましたからね。あの当時は。

小勝:うん、うん。

松下:作家について、作品について。いま議論しないですけど、そこはもう議論するところでもあったり。

小勝:うーん、90年代はまだそうでしたかね。

松下:Kに行くと誰かに会える。

小勝:あぁ、そうなんですか。

松下:いい作家の人もいっぱいいて。

小勝:なるほど。

松下:向こうに行ったら、話がつながっていったんですよね、自然に。メンバーはぜんぜん違うんですけが。

小勝:今おっしゃってるのはケルンの展覧会なんですか。

松下:ケルンの最初の…

小勝:「Tokyo Rooms」(ギャラリー・アーティクル、ケルン、1998年)ですね

松下:そうそう。

小勝:なるほどね。それでこの頃、《Security Blanket》の最初のパフォーマンスをやってらっしゃるんですよね、98年に。

松下:はい。

小勝:えっとこれはギャラリー・ルデコ。それはどういう経緯で?

松下:そのとき、ちょうどドローイングだけの展示をやってたんですね。

小勝:個展で?

松下: 個展で。クラマーというところで。「遅滞」というタイトルで。(個展「遅滞」、ギャラリー・クラマー、東京、1998年

小勝:(略歴を見て)あ、これですね。

松下:これは目黒だったかな。

小勝:これはドローイング展なんですね。

松下:ドローイングといっても油絵のドローイングですね。油絵ドローイングというのか、そんな名前があるのかどうかわかんないですけど、自分にとってはドローイングの感じです。ちょうどその時です。ルデコでも1回やってたんですが、その前に。

小勝:えぇ、えぇ。ルデコはどういう人がやってるんですか?

松下:オーナーは島中さんといいます。そのときは企画を頑張っていて。

小勝:えぇ。ギャラリー・ルデコって今もあります?

松下:ありますよ。ビルぜんぶが画廊で1階から5階まで。

小勝:それは銀座ですか?

松下:渋谷です。

小勝:あ、渋谷ですか、へぇー。

松下:評論家の鷹見明彦さんに連れられていきました。鷹見さんが気に入ってる双子のパフォーマンス映像の展覧会で島中さんに紹介されて。その島中さんに「自分の画廊だと思って」と言われて(笑)、「好きにやっていいよ」と。

小勝:えっとそれはルデコの方?

松下:はい。島中さんに「パフォーマンスやりたいんですが」と言ったら、喜んで「いいよ」と言ってもらって、スペースを提供してくれました。

小勝:それでやったのが《Security Blanket》ですか?

松下:そのときはまだパラフィン紙じゃなくて、ネル地の幼児服を着て。

小勝:98年のときの(パフォーマンス)?

松下:そうです。

小勝:これは(服が)ネル地だったんですね。

松下:ネル地で、歩行器を作って、

小勝:おー。

松下:木で組んで、そこにネル地を貼った歩行器を作り。インタビューもしたんですね。

小勝:これは参加者には男性も女性もいたんですか?

松下:ちょうどドローイングの個展をやっていたので。そこに来た人にテキストを渡して。

小勝:それはクラマーのときに?

松下:そうです。公に送ったりしないで。

小勝:たまたま観にきた人を誘った?

松下:そうしたら30名ぐらい来ちゃって。

川浪:ふ〜ん。

小勝:えぇ。男性もいたんですか?

松下:男女半々ぐらいですね。

小勝:あぁ、そうですか。じゃあそのネル生地で、つまり幼児服を作んなきゃいけなかったわけですよね。

松下:そうですね。

小勝:男性用にはズボンとかも作ったんですか?

松下:いや、それは私だけが。私一人のパフォーマンスでした。

小勝:この時は松下さんだけが幼児服を着たんですか?

松下:そうです、歩行器に入って。

小勝:へー。で、インタビューっていうのは来た人にインタビュー?

松下:そうです。

小勝:その「あなたにとってセキュリティ・ブランケットはなんですか?」って。

松下:えぇ。

小勝:はい。セキュリティ・ブランケットの意味をちょっと一応ご説明を。

松下:辞書には、幼児が安心感を得るために、いつも手にしている毛布のこととあります。成長するにつれて執着しているものから離れていきますが、大人になっても、安堵感を得るために執着するものや行為を見出すことがあります。それは生き者としてあり得ることで、生き延びる手段でもあります。久里浜病院での体験を得て思いました。依存症は治らないと。(しかし)何かほかのものに依存するものを見出していくことによって…

川浪:ふ〜ん。

松下:あの勉強会のとき、副院長さんも言うんですね。「自分も酔っ払って、意識もなくどこかをうろうろしてることもよくある」と。そういうように人間っていうのは、パラドックスというのか、表裏一体に出来上がってるし、今の自分のぬいぐるみ(の作品)ともつながりますけれども、非常に複雑なものであるということでしょうか。

小勝:それをあの参加した人たちに、「あなたにとってそういうものは何か」っていうのを聞くっていうのは最初の(パフォーマンスの)ときからもうやったわけですね?

松下:はい。それでもう一つは表面ということも考えてて。私にとってもひょっとしたら作ることは、ほかに楽しみがない、代わるものはないし、これも一つのいい意味の依存だったりもするし。

小勝:なるほどね。

松下:自分にとっての安堵感もあるし。安堵感は重要だと思っていて、セキュリティ・ブランケットになり得るし。たまたま自分は表現するものを得てるけれど、どの人も表現する意義があると思う。言うことによって自分が成立するし、確認ができるとも思う。だから表現してもらいたいと。表現していただくには、私もパフォーマンスをして赤裸々なものを見せておくことが必要という気持ちがあります。うん、ただ見ていただくっていうんじゃなくて。

小勝:あぁ。で、それが2001年、2002年とドイツ、パリでも(同じパフォーマンスを)やられるわけですが、そのときはこの写真によると、もうパラフィンドレスですよね。

松下:そのときはパラフィンドレスですね。パラフィンドレスになったのは、このグループ展、2000年の…

小勝:それはグループ展ですか?

松下:ブラジルで「One Minute World Festival」 *というのがあって。
* One Minute World Festival 2000、サンパウロ、ブラジル、2000年。

小勝:はいはい。

松下:この「One Minute World Festival」は、キマイラの大岩さんから「これに出してみないか」と言われて。

小勝:あぁ、そうですか。

松下:私はパソコン持ったばかりで、フォトショップもやっと使えるくらいだったんですが、たぶん多摩美の学生に情報を聞いたようで。私も大岩さんに言われてやろうと思い、そのときに初めて映像を作ったんです。

小勝:えぇ!

松下:それで4ヶ月間、もうどこにも出ないで没頭しました。友人の誰もアニメーションの作り方を知らないし、今やれって言われたらできないですね。(挿図11) その後に一条さんとあれをやったんですね。

 

 

 

 

 

 

 

挿図11 《melt》 2000年、 アニメーション 写真、ドローイング(木炭)、音(松下)

小勝:《食祭》。(一条美由紀と松下誠子によるパフォーマンス映像作品。2000年、7分55秒。
もう、パラフィンドレス着てましたっけ?

松下:着てました。サンパウロで発表した《melt》が、その映像で写真とドローイングが一緒になった最初のきっかけです。パラフィンドレスを着て、自分がモデルになって。

小勝:あぁ〜。

松下:それで、3分ぐらいの長さで作って、1分間に縮めて、エントリーしました。それが入選して。

小勝:そのときはパラフィンドレスはもう着た?

松下:自分で着て。でもどうして考えついたのか不思議ですが…、妹に写真を撮らせてコマをたくさん作ったあとに、ドローイングも鳥にしようと思って。

小勝:あー、顔が鳥になってるわけですか。(挿図11)

松下:東洋人では、私だけが入選でした。これは3つなんですけど、これが一番最初に作ったサンパウロでやったのです。

川浪:これです(作品集『Seiko Matsushita Installation』に掲載された《melt》2000年を指して)。

小勝:あ、これね。

松下:これが一番最初の映像で。

川浪:顔全体が鳥なんですか?

松下:はい。ここだけは写真なんです。この洋服のとこだけが写真で。これがその後のドローイングになったんです。

小勝:あぁ、そうなんですか。《melt》っていうタイトルね。

松下:《melt》、そうですね。

川浪:へぇ〜。

松下:今はないんですが、フラッシュというソフトを使って。そのソフトでこの画像とこの画像をつなぐと動くようになるんですよね。パラフィンドレスがぱらぱらと舞い降りる映像も。

小勝:うん。

松下:レイヤーを5〜60枚作って、頭ももうぱんぱんになって。一枚一枚が頭に入っていないといけないし、一人(作業)だし。なんかすごい下手なんですけれど、サンパウロのテレビ局と契約して、すごい嬉しかったですけどね。

小勝:で、向こうのテレビで放映された。

松下:らしいですね。わかんないですが。

小勝:なるほどねぇ〜。

松下:いま作れと言われたら、もうできないです。マニュアルも読まないでやりましたから。

一同:(笑)

松下:読んでる暇がないというのか、読んでたら文字に追われると思って、勘でやっていきましたね。ものすごく苦労しました、初めての体験なので。

小勝:えぇ、えぇ。

川浪:よく完成できましたね。

松下:そういう意味で、大岩さんは私にそうやってきっかけをくれるんですね。

小勝:なるほどねぇ、(大岩さんのアンテナは)すごいですね。

川浪:キマイラのときの、二重のイメージのエピソードととかも思い出しますね。

松下:そうですね、この背景はケルンの駅前を撮った写真だと思うんですよね。 (挿図10 Daily a – f )

小勝:あぁ。なるほどね。

松下:それを使ったんだと思います。

小勝:すごいですよねぇ。

松下:いやいや、なんでやると思ったのは、やっぱりドイツ行ったからですね。日本では、私はいろんなことをやるので、すごい批判されてたんですよ。なんで写真なら写真、絵なら絵と一貫してないのか、素材で一貫すればというのを何度も言われて。そのあと双ギャラリーで「私は何か一つを選択しなきゃいけないんでしょうか」と聞いたら、「しなくていいんじゃない」と言われて。

小勝:(笑)

松下:そのときまで「何をあなたはやりたいのか分からない」と他で散々言われてました。もう諦めムードっていうのか(笑)

小勝:えー!

川浪:さっきおっしゃったカテゴライズできないとか、文章にできないとか言われたという話は、つまりは書かないじゃなく、書けないんですよ。

松下:今みんな、同じことやってるじゃないですか、ようやっとですね。

小勝:本当ですよね。

松下:だから小勝さんと出会えたときからは、呼吸が楽になった感じです。

小勝:あぁ、そうですか。あれは何年でしたかね、松下さんと最初に会ったのは。美評連のシンポジウム*ですか?
*「美術と表現の自由」美術評論家連盟主催、2016年7月24日。小勝が登壇者の一人として、「美術とジェンダー」について報告した。https://aicajapan.com/ja/category/event

松下:あのとき、村田さんが小勝さんを見かけて、私に「行け行け」「声をかけろ」と言ったんですよ。

小勝:あぁ、村田早苗さん。

松下:ようやっと。でもドイツに行ったらみんなやってるし。

一同:うん。

松下:当たり前ですね。

川浪:日本ってなんだか(笑)、はぁ〜。

松下:とにかくパソコン買おうと、ドイツからの帰りの飛行機の中で決めて。まだみんなはそれほど持ってなかったんですけど、必要だと思って。

小勝:なるほどね、この90年代の松下さんの海外での発表っていうのは、今の松下さんを作る、こう、基礎的なものがド〜ンと出てきたときですね。

松下:行ってよかったと思うのは、なんだろう? いいものを見れたのもありますが、作家の姿勢?もそう。貸画廊はないので、展覧会をやるというのは大変なことなんですよね。

小勝:あ〜、ヨーロッパは…

松下:それで、アーティストラン的に、市もお金を出すこともあるし。だけど、やはりきちっとした線引きはあるんですよ。

小勝:うんうん。

松下:でもすごくいいところは、ノミネートされてもされてなくても卑屈さはなく、堂々と作品を年中作ってる。作ることが中心にある。それから流行がない。日本は流行がすごいじゃないですか?

一同:うんうん。

松下:画廊も、うちはシュールレアリズムしかやらないとか、うちはスペイン系の作家をやるとか、みんなカラーがあるし。作家の人たちも安心して自分の作品を作っていけるというのか。まず流行がないっていうのはすごくいいなと思いました。

小勝:うん、それでその《Security Blanket》に戻りますけど。2001年と2002年にドイツとフランスで続けてやったっていうような、これはどういうきっかけだったんですか?

松下:ドイツはプロデュースの話があって。フランスの方は、ダニエル・ロス*というフランス人ですが、マルセイユのアーティストで大学の教授でもあるんですが、アートスペースも持つようになって、(彼に)誘われました。90年代の半ば頃に、彼が私を探していて…
*ダニエル・ロス Daniel Roth (1958- )マルセイユのアーティスト、音楽家。日本や韓国でも発表。

小勝:え、どこで見て?

松下:いや、なんかどこで見たのかわかんない。

小勝:(笑)

松下:カタログを見たのか…。神田とか銀座のいろいろな画廊で松下誠子を知らないかって。

小勝:えぇ! 日本に来てたんですか?

松下:京都市立芸大に1年間、留学生として来てたそうです。翌日帰るってときに、偶然に神田の画廊でばったり出会ったんですよ。

小勝:えぇ〜(笑)。

松下:たったの10分ですけど。それからダニエル・ロスに「来ないか、来ないか」って言われて、呼んでくれたんです。

小勝:それはマルセイユ?

松下:マルセイユ。

小勝:彼は今もそこで活動している?

松下:今もアーティストで。

小勝:あっ、ダニエル・ロスさんはアーティストなんですね。

松下:アーティストです。とても頭のいい人で、1年いただけで日本語もペラペラで。

小勝:えぇ!(笑)

松下:格言も言えるし、私が言う「てにをは」を直したりして、違うとか。

小勝:(笑)京都市立芸大の方ですね?

松下:そうです。そこに1年間いたらしいんですよ。なにか共通点があったんですよね。で、私を探してて、それからの交流というのか。

小勝:うんうん。

松下:彼が釜山とソウルで個展をやったときには、私も行って。ダニエルが京都市立芸大で一緒だったといいう釜山の女性アーティストのカン・スクジャ*のところに泊まって。
*カン・スクジャ(姜淑子 1953- )韓画の画家。

小勝:それで彼が呼んでくれて、向こうでやったと。

松下:はい。

小勝:で、その《Security Blanket》は、最初の98年のときはまだネル地の服で、松下さん一人で着てパフォーマンスをしたそうですが、2001年からはこういう(参加者全員が着るような)今の形になったんですか?

松下:はい。マルセイユ(2002年)からかなと思いますけど。

小勝:マルセイユですか。じゃあドイツのときはまだネル地だったんですか?

松下:いえ、パラフィン紙でしたけど、一人でやりました。国によって考え方が違うんですよね。ドイツ人は「僕たちはね、孤独に強いので物に頼らない」って言うんですよ。

小勝:(笑)

松下:セキュリティ・ブランケットの説明をしても理解ができないんです。ところがフランス人はすばらしいんですよ、100人ぐらい来たんですよね。すっごい来ちゃって。

小勝:このときは写真によると、男性も参加してズボン履いてますね。

松下:男物も作りました、外国人サイズにして。だいたいアーティストの人が多かったですね。

小勝:あぁ、そうですか。

松下:ダニエルがみんな集めてくれて。彼らは慣れているのか、着せるときも、パッと全部裸になって。恥ずかしいとかじゃなくて、ピシッと立って待ってます。誰かがちょっと恥ずかしがると「真面目にやれ」っていう。

一同:(笑)

松下:きちんとアートとして捉えたので。

小勝:そのパラフィンドレスっていうのは第二の皮膚というふうに捉えるんですよね。だから裸にならないとおかしいわけですよね。もう1枚変な服なんか着てると…(笑)

松下:衣服っていうのは、社会の記号ですよね。

小勝:外に出ていくためのね。

松下:それで男の服、女の服とか、まぁ役割とか職業まで。

小勝:もしそれであるんだったら、男物は別にズボンじゃなくてよかったんじゃないですか?

松下:あっ、そうですよね。

小勝:(笑)

松下:でも、やっぱりこう一番大事なとこ見えたらまずいなというのもあったし…

小勝:(笑)

松下:公共とか、いろいろ考えましたけど。

小勝:あ、パンツも脱いでるんですか、みんな?(笑)

松下:もちろん全部裸で。フランスの人はもうすごい盛り上がってくれて。「英語でやろうか」と言ったら、ダニエルが、みんなは日本語の言葉を聞きたがってる、だから日本語でやろうと。私がもう終わりましたと言っても、「私も答えたい」「私も答えたい」と答えたい人が前に出てきて、みんながそれに対して笑ったり、手を叩いたり、もう一丸となって。私は引っ込んじゃいましたけど、皆は楽しんでましたねぇ。

小勝:で、それを2016年になって日本でやったんですね。

松下:はい。なかなかやる機会ってないですからね*。
*その後、2019年の以下の展覧会の際にも《Security Blanket》のパフォーマンス+インタビューを行った。
「都美セレクショングループ展2019 彼女たちは叫ぶ、ささやく-ヴァルネラブルな集合体が世界を変える」、2019年6月21日、東京都美術館ギャラリーB https://egoeimaicollective.tumblr.com/performanceandtalk

小勝:これもギャラリー・ルデコでしたよね。

松下:それはね、こういうのがFacebookに出てきたら、急にやりたくなったんですね(笑)

一同:ほぉ〜。

松下:ちょっとしたきっかけで。

小勝:こういうのっていうのは昔の写真ですか?

松下:はい、今に夢中になってて。こういうファイルも作ってなかったんですけれども、双ギャラリーでやり始めたときに「ファイルを持ってくるように」と言われて。「ファイルないの⁉︎」「えっ、今までじゃあ、どうしてた⁉︎」って言われても、ファイルは作ったことなかったんですよ。自分で交渉したことなかったから。

川浪:あぁ、(これまでは)全部(ギャラリーから)呼ばれてたから。

松下:最初に双ギャラリーに「見せてくれ」と言われたときもファイルがないで、「これからこういうことやろうと思ってます」というものだけ持っていきました。それで10年間はやろうということで。

小勝:双ギャラリーの始まりはこの、えっと…これですか? 「Sisters three」(2007年)*。
*「微妙な消息」(双ギャラリー、東京、2004年)のほうが先。

松下:そうですね。ファイルをつくるように言われて、さらにホームページを作ってくれるという人が現れて、ようやく揃ったというか…

川浪:(笑)

松下:みんなやってもらったという感じで。でもそのおかげで写真の整理ができた。

小勝:なるほど。

松下:こんな山になった。

小勝:あ、そうなんですか。じゃあ、もう今に至るものがもうかなり出てますよね。このパラフィンドレスで。

松下:この当時は、大岩さんの紹介で、ファッション事務所で週1回のアルバイトをしてたんです。今の日本の糸偏社会(ファッション業界)には、一流のショップがあるじゃないですか?

小勝:えぇ。

松下:流行のものを作るのは、(実は)小さい事務所の人たちなんですよ、オーナーはほとんど女性でスタッフが数名で。そこにショップの企画者が来て「こういうのが来年は流行りそうなので作ろう」と言って、サンプルを作ってもらって生産に入っていくんですね。そこの女の人たちはみんな最先端にいるような感じじゃないですか?

小勝:はい。

松下:流行を作るわけだから。肩書きもデザイナー、パタンナー、テキスタイル・コーディネーターとみんな横文字で。ほとんどが日給月給の仕事で。そこの女の人たちと仲良くなって、彼女たちはみんな糸偏の人です、全員。

小勝:この《Sisters three》のモデルをやってくれた人たちも?(挿図12-1,2)

 

   

挿図12-1,2 《Sisters three》2007年、コダック・エクタカラープリント、各107×75㎝ 

松下:そうです。みんなデザイナーで、この人はバッグのデザイナーだし、4人のこっちの写真も全部そうです。

小勝:なんかでも、このいろんなポーズとか、表情とかは、松下さんが指示するんですか?

松下:そうです。取材したときには、(みんな)実家に帰ると「結婚しろ」とか言われたり、家父長制の中で生きていた。

小勝:(笑)

松下:真っ只中で生きてるんですよね。みんな自立してるし、収入もあり、男に頼らず生きてるのに、家からの外圧はすごくって。本当に女同士でしか助け合えないような業界なんですよ。みんなで助け合って、仕事も守り合っているし、遊ぶのもみんなで遊んで。たまに夫がいるというと、オーナーの旦那さんで手伝いに過ぎなくて。

小勝:うん。

松下:主権は全部女の人で、働くのも女の人。相談事もすべて助け合って、そういう助け合いということで作ったんですけど…

小勝:評判よくなかったですか?

松下:写真自体はそうでもないですが、そういう話題は話さない。なぜこうしたかと話しても、結論は「男は大事だ」という方向にいってしまってました。

小勝:双ギャラリー25周年展「発見と創造」はいつだっけ? これももう少し後ですね。松下さんがほぼ紅一点で。(2010年)

松下:そうです。

小勝:それもすごいですね。

松下:双ギャラリーは5年ごとに記念展覧会やるようです。その前の20周年では吉澤美香さんや菅木志雄さん他で、その後に私が入り、25周年で今度は島さんと。

小勝:島州一さん。

松下:伊藤誠さんと多田さん

小勝:多田正美さん?

松下:はい、1回目は私と島さんと味岡伸太郎さん3人で。2回目は多田さんと伊藤さんで。小品展は自宅の方のギャラリーで。これは吉祥寺の方で。

小勝:うんうん。

松下:で、なんか話がごちゃごちゃしてすいません。

小勝:いえいえ。

松下:ここ*でも書いてたんですが、(2002年に)マルセイユ行った折に、リヨンの現代美術館でローリー・アンダーソン展を観ました。
*「対談 松下誠子×ジョイス・ラム」、『あなたが眠りにつくところ』展図録、藤沢市アートスペース、2023年、p.35

川浪:書いてましたね。

松下:あれはなんだろう? 突然、オブジェが自分の中で消えていった感じがしたんですよね。

小勝:う〜ん。

松下:衝撃がすごくあって…。日常性と、それとこれからやろうと思ってたことが、もうやられていました。さらにそのときケルンでラッキーな幸運が待ってたんです。たまたま、なかなか会ってもらえない画廊に「アプローチに行かない?」って友人に誘われて行ったんですが、「ベリベリベリベリ・インタレスティング!」って言われて。

小勝:えぇ!

松下:2年間、そのクオリティが落ちなければやるということで。1、2回ぐらいしか作品写真は送ってないんですが、連絡先にしていた別の友人のところに、即「マテリアルを持ってこい」という画廊から連絡が入っていて。マテリアルって作品のことですが。
でもローリー・アンダーソン*展を観た後で、結局は行きませんでした。それでオブジェはやめて、双ギャリーでは写真やドローイングなどを中心にやっていたんですが、このときに「床しか空いてない」とか言われて、「おぇ〜」って(笑)。
*ローリー・アンダーソン(1947- )アメリカの映像作家、音楽家、パフォーマンス・アーティスト。

小勝:床?

松下:味岡さんは壁を7 m使う、島さんも壁使う、で「床しかない」と言われて。でもそのおかげで(オブジェが)復活したんですよ、また。

小勝:オブジェがねぇ。それはよかったですよね。

松下:だから、わかんないですね。

小勝:本当ですよね。

松下:ラッキーっていうのか、何がきっかけで、だからよかったのかなと思って。

小勝:ローリー・アンダーソンを観て衝撃を受けて、やめようと思ったっていうのはいつでしたっけ?

松下:うんっとね、マルセイユの帰りです。

小勝:マルセイユの帰り。はぁ〜。

川浪:2002年?

松下:マルセイユからダニエルに車でリヨンに連れて行ってもらって。

小勝:リヨンにこのあと行ったんですね。

松下:リヨンの写真家の女性の、ダニエルの恋人だったと思うんですけど、写真家の家に泊めてもらって。それからベルギーに行ったんです。ベルギーでの展覧会は実現しなかったんですけどね。話はあったんですが。

小勝:前にちょっとおっしゃってた、個人のすごく広い家の(ギャラリー)…

松下:もう素晴らしかったですね。

小勝:えぇ、そうですか、残念でしたね。

松下:オーナーは身体に障害がある女性で、スタッフの二人は黒人の人ですが、養子なんですよ。自宅が、キマイラも自宅が画廊ですけど、そこも自宅全部が画廊。3階建の木造で、お風呂場も中庭もすごいかっこいい建築空間でした。かっこよかったですね。広〜い、どこの部屋も作品が1点だけポンとあって、ソファーには布がかけてあって。

小勝:それをそういう(アート)ギャラリーとして使ってたわけですか。

松下:そうですね。紹介者の友人はダニエルが大学で教えた日本人で、「日本に帰ったら誠子に会え」と言われて会いにきた人です。マルセイユの大学の後にベルギーの大学に行って。ベルギーに行くきっかけになったんですね。みんな人のつながりですよね。

小勝:えっと、ちょっと今まであの非常に興味深いお話をたくさん伺えて、特に海外経験とか、その中で新しいテーマを見つけられたりとか、日本では受けられない評価を得たりとか、非常にいいお話をうかがえたと思います。それでその後、むしろ2000年代に松下誠子さんの作品はひじょうに豊かな象徴的な意味を持ったオブジェが花開いていくと思うんですけれども、まぁ、パラフィンワックスを使って中に写真を閉じ込めた作品*ですとか、それからパラフィンドレス―これはパフォーマンスでもすでに使われていますけれども、えーとその中でも特にあのピンクに染めた鳥の羽根をびっしりと、毛布にこれは縫い付けているんですか**?

*データベースとのリンク 画像2.《革命前夜》2018-19年 
** 画像1.《革命前夜2―風景が変わるとき》2018年 https://asianw-art.com/matsushita-seiko/

松下:いや、それは厚手のパラフィン紙に…

小勝:パラフィン紙?

松下:パラフィン紙にコキールという羽根を…

小勝:コキール?

松下:コキールという白い天然羽根で、染めてないのを買って…

小勝:はい。

松下:それを染めて、強力な接着剤で1個1個をくっつけていく。

小勝:これは最初に発表されたのは、「革命前夜」のときですか。

松下:そうですね。

小勝:「革命前夜」の2*の方ですか?
*「革命前夜2-風景が変わるとき」、Red and Blue Gallery、東京、2018年。

松下:2の方ですね。

小勝:2の方ですね。で、その後いろんな…

松下:あ、その前にこれは、1のときにはトルソー*を…
*データベースとのリンク 画像3.《起源を消して》 2017年 https://asianw-art.com/matsushita-seiko/

小勝:はいはい。トルソーにその羽根を(付けた)。

松下:はい、そうですね。

小勝:はい。えっとこの毛布の形にしたのは「革命前夜」2のときで。

松下:あ、そうですね。

小勝:はい。あのその後もいろいろ、あるいはテーブル、ダイニングテーブルという名称で藤沢の展示*では使ってらっしゃる、テーブルの上にテーブルクロスのようにかけたり、あるいは壁にかけたり、いろいろな使い方をされていると思うんですけれども、このピンクの羽根をたくさん使うっていうのはいまや松下さんの作品の一つの特徴のように思いますけれども、これはどういうことから発想されているんでしょうか?
*「あなたが眠りにつくところ」展図録、藤沢市アートスペース、2023年、p.12,14

松下:やはり、これ*ですよね。

*データベースとのリンク 画像3.《起源を消して》 2017年 https://asianw-art.com/matsushita-seiko/

小勝:このトルソーに。

松下:はい、《起源を消して》というタイトルですけど、これを発想したときは、自分の故郷を追われて、内戦や飢餓問題、災害などのいろんなことで他の場所へ移動が起きる、またその逆に閉じ込められることもある。そうした社会の権力からの束縛から、自分の大事な記憶や民族の意識もそうですし、個人的な大事なものを奪われないように、あの中に記憶として留めて、記録していくというのか、記録していかなければ失われるし。

小勝:はい。

松下:そういうのがセキュリティ・ブランケットですよね。

小勝:はい。

松下:安堵感とかそういうことだけではなくて、自分の起源や重要な思い出を奪われないための武装。一つの武装するものという感覚もあって作ったんですけど。

小勝:うーん、こちらのドレスの形になってるのも同じタイトルなんですよね。(挿図13)

 

 

 

 

挿図13《起源を消して 2》、2018年、 パラフィン紙、羽根、フランネル、サイズ可変 
  (写真には黒の人形:150 x 183 x 13 cmも展示)

小勝:そういう羽根で覆うっていうことが保護だけではなくて、内部の記憶を外にこう拡散させないみたいなそういう意味なんですか?

松下:あの、奪われないように。

小勝:あぁ。なるほど、なるほど。それからあの先ほどのパラフィンドレスですけれども、パラフィンドレスのインスタレーションで、あの「赦された庭」*っていうのをGallery Hasu no hanaでなさったんですか?

松下:これは洞窟現代っていう…

小勝:洞窟現代の方ですか。

松下:工場だったところで、たっぱ(天井)が6 mあって、パラフィンドレスを展示したんですね。

小勝:あ、この写真はそうなんですか?(挿図14)

 

挿図14 《赦された庭》 The permissive Garden、2013年、パラフィンドレス58着、羽根、クチバシ(石塑粘土、羽根、2009年)、インスタレーション、サイズ可変

 

 

 

 

 

 

 

松下:そうです。これはそうですね。

小勝:洞窟現代は2013年ですか。あ、グループ展の方ですね。はい、「秘境を求めて」(洞窟現代、神奈川、2013年)。

松下:あ、そうですね。

小勝:ですね。あのGallry Hasu no hanaでも…

松下: Hasu no hanaがこれを観て、うちでもあのパラフィンドレス(のインスタレーションを)やってくれって言われて。*
*個展「赦された庭」、Gallery Hasu no Hana、東京、2014年

小勝:それはやっぱりパラフィンドレスをこういうインスタレーションにしたんですか?

松下:しました。なんか大変でしたね、もう。展示の方法論がわかんなくて。

小勝:やっぱり天井から吊るした?

松下:Hasu no hanaの天井が吹き抜けになってるので、ぶら下げられなくて、向こうから向こうまで金網を張って、金網からぶら下げるような形にしましたね。

小勝:あ〜なるほど。このすごい広いっていうか、天井の高いスペースは洞窟現代ですね?

松下:そうですね。

小勝:なるほどね、これは素晴らしい写真だなと思いまして。

松下:この頃は 、自分の作品を自分で撮るようになっていましたから。

川浪:ふ〜ん。

小勝:そうですか。このグループ展ではないかと。(参加作家は)カリンさん*でしたっけ?
*カリン・ピサリコヴァ(1981-)チェコ出身のアーティスト。多摩美術大学博士修了。現在はチェコで活動。
都美セレクショングループ展2019「彼女たちは叫ぶ、ささやく-ヴァルネラブルな集合体が世界を変える」に、松下誠子の誘いで出品した。

松下:そうです。カリンさん、えぇ。仁木さんっていう人も。

小勝:えぇ。

松下:仁木さんも個性的な作家で。

小勝:仁木何さん?

松下:仁木智之*さんです。
*仁木智之(1968- )立体作家。90年代より鑑賞者自身の身体の関与が可能なミクストメディア型立体作品を制作する。

小勝:この洞窟現代のグループ展で?

松下:そうです。6年間、イギリスの大学で勉強されたそうです。その仁木さんが声をかけたのがカリンさんだったんですね。

小勝:あぁ、そうなんですか。はい、それで20世紀になってからの展覧会は、そのように本当にいろいろ象徴的なオブジェを使ったインスタレーションという、今の松下誠子さんの方法に変わっていかれたと思うんですけれども。

松下:やっと自由になれたかと。

川浪:(笑)

小勝:あ、そうなんですか。

松下:はい、そうですね。 やっと自由になれた。重要なことですね。

小勝:それでそれを集大成のようにしたのが2023年ですね。まず太郎平画廊の「良心を探して-落下する玩具」*という個展をされて、それから、そのときのものにプラスして、またいろいろ新しい作品を加えて、こちらの藤沢市アートスペースでの二人展**へと続いたわけですけれども。この辺が本当に、現在の時点で、まぁ昨年の時点ですけれども、集大成的な展示になったと思うんですけれども、その辺について本人としては満足していらっしゃいますか?
*個展「良心を探して-落下する玩具」 太郎平画廊、2023年5月5日-5月27日。
**「あなたが眠りにつくところ Where you fall asleep 松下誠子 ジョイス・ラム」、藤沢市アートスペース、2023年6月17日-8月27日。

松下:う〜ん、もうすこし出来たかなと反省もあります。ちょうどあの太郎平画廊のとき、股関節の手術する前にもぬいぐるみは1点作ってたんですが、股関節の手術で動けなくて、布でつくるきっかけになりました。「落下する玩具」が。

小勝:はいはい。

松下:「落下する玩具」は、始めからそのタイトルのイメージはあったんですが、「良心を探して」という言葉を付け足すことにすごく悩んだんです。でも付けることにしたのは、良心といっても道議的な意味ではなく、ニーチェの言う良心なんです。どう落下するか、今、私たちはいろんな制度や苦境にぶら下がっている状態で、着地するときに、通俗性と日常性を分けて捉えてるんですが、着地においてどう着地するかを考えたいと。

小勝:う〜ん。

松下:なかなかそれだけで伝わらないとは思うんですけれども、落下することによって、着地点を見出すときに「良心を求めて」という言葉が欲しかったんです。

小勝:う~ん、あぁいう、布のぬいぐるみ状のもの、オブジェたちは、長いクチバシを持った鳥みたいな…

松下:キメラ。異種混合の。

小勝:あぁ、そうなんですか。あとグローブとかも入ってますよね。それから、あのピノキオ。鼻が伸びて。

松下:そうですね。

小勝:ピノキオのイメージもありますよね。

松下:はい、嘘をつくピノキオと人間と鳥で。

小勝:それらが合わさったキメラであると。彼らは何の象徴なんですか?

松下:人間の象徴。

小勝:人間の象徴なんですか? なるほどね。それは何でしょう? 周囲に抵抗しているのか、愚かさが出ているのか?

松下:うん、両方ですよね。人間って恐ろしいものだなとつくづく思いました。逆説的というのか、家庭ではいいお父さんでも戦争を起こしたりするし。パラドキシカルな存在だと思います。

小勝:なるほどね。それと、あのちょっと前後してこちらの方が先なんですが、2020年のえっと、RED AND BLUE GALLERY では「家の舌」という個展をしていらして、このとき初めて家の形をした、あの四角い箱から、こう舌のように長いものが伸びているオブジェを作られてるんですが、あれはどういう意味を込めてらっしゃるんですか。

松下:家は前々からずっと、日常性を意識してから、家の密室性について、すごい興味を持ってたんですね。

小勝:えぇ。

松下:現代の家はファッション的になって、特に都会のマンションなどは形は綺麗だけど、何が起こってるかわからない。あの《Sisters three》のときと同じように。

小勝:はい。

松下:家の中では家父長制も生きてて。それぞれの家には独特の家の法則があり、その家の決まりごともそれぞれで。そうした法則が舌の形になったんですね。

小勝:ふーん。

松下:素材に使った毛皮も、家と同様に虚栄心の一つになっているし、人間と動物の関係も。また人間の欲望も格差の形にもなって。

小勝:はいはい。で、その舌が伸びるっていうのは、その家の秘密を外に出すみたいなイメージですか?

松下:そうですね。法則があっても、人も招き入れることも押し出すこともできる。両方できるので、舌を伸ばしたんですが。

小勝:なるほどね、なんかすごくこう、松下さんの作品は身体性があるっていうか、人間のね、その身体の中で鼻が伸びたりとか…

松下:(笑)。そうですね。はい。

小勝:舌を伸ばしたり、そうすることによって、社会と人間との関係をこう、ひじょうに批評的に表わしてらっしゃるのかなと思うんですけれども。それからもう一つ、ひじょうに特徴的なものに、治療用の乳首に…

松下:あのシリコン。

小勝:そのシリコンに水鳥の羽根を付けた、あの「アナクライズの笑い」という…(挿図15)

 

 

 

 

挿図15 《アナクライズの笑い》、2023年、シリコン、羽根、菅実花撮影

 

松下:はい。

小勝:あれはいろいろな所で使ってらっしゃるんですが、どういう意味を込めてらっしゃるんですか?

松下:最初に知ったのは、人類学者の、誰だったか?

小勝:中沢新一。

松下:中沢新一の『チベットのモーツァルト』という本の中に、そこで「アナクライズの笑い」というのを初めて知ったんです。人間が生まれて最初の笑いで、お母さんのおっぱいに近づいたときに、ふっと笑いを見せるような笑顔をするという心理学者のルネ・スピッツの言葉があって、一番原初的な笑いというのか、それは自分にとって重要だと思っているのです。

小勝:う〜ん。

松下:それを忘れてはいけないというのが一番にあり、一人ひとりは母親から生まれて、一番大事なのは愛というか。やはりアートをやる意味が愛だと思うんですね、私にとっては。

小勝:なるほどね、つまり…

松下:一番重要な。

小勝:ちょっと後の方で聞こうと思ったんですけど、つまりアーティストの役割についてどういうふうにお考えですか?

松下:役割っていうのか、私もいろいろ悩んでるわけですが(笑)。オフィシャルなところで展示するというのは、社会的な一員として役割を得るわけだから、通過される、スルーされるようなことをこちらが問いかけをして、そこに気づいてもらうのが役割ではないかと思ってます。作ることと違った意味で、展示するというのは、社会的な役割があると思ってます。

小勝:普通の人たちが日常生活の中で気が付かない、忘れているようなことを、こう気付かせるみたいな。

松下:それが連結で、連結を共有することによって、人を殺しちゃいけない、暴力を振るっちゃいけないとなれば。

小勝:その起源にあるのは「愛」だとさっきおっしゃった。

松下:そうです。

小勝:その愛というのが「アナクライズの笑い」に象徴されるような、最も原初的な、人間が最初に感じるものだと。

松下:そうです。

小勝:つまり笑いっていうと、笑いには嘲笑とか、尊大なところとか、あるいは馬鹿にしたり、まぁそれだけではないですけれども、そういういろんな雑念の入らない、最も基本的な愛としての笑い?

松下:それが制作していくうえで一番重要だと思ってます。

小勝:それをなんであのインスタレーションの中に置いたり(なさるのか?)、えっとこれはこの藤沢市の展示で初めて展示された機関銃の作品。これも柔らかい布で作った機関銃にそのアナクライズの笑いを取り付けたんですよね。それは武器を無力化するみたいな?(挿図16)

 

 

 

 

 

 

 

挿図16《機関銃》2022-23年、獣毛、シリコン、羽根 サイズ可変

 

松下:そうですね。ここに気づいたら武器は持てないし、人も殺せないでしょうと。

小勝:こちらですね。 これはあのさいたま国際芸術祭の「Woman’s Lives」*の展覧会でも(展示された)。
*「Women‘s Lives 女たちは生きている 病、老い、死、そして再生」、埼玉国際芸術祭市民プロジェクト、さいたま市プラザノースギャラリー、2023年10月9日-22日。https://womenslives.mystrikingly.com/

松下:本当は子どもにも観てもらえたらいいなと思って、あの低い…

小勝:なるほど、「Woman’s Lives」展では展示台に(載せて)…。

松下:展示を低くして、子どもの(目線の)位置にしたかったんですけど、なかったので。あれは低くしたいなとは思ってました。

小勝:あぁ、そうですか。はい、なるほど。それからちょっといろんなことをまとめてお聞きしてしまいますが。映像作品もいくつか作っていらっしゃる中で、2022年にはアトリエ・Kで「Mother’s Voice」という展示を。

松下:画廊が「パラフィンでお願い」と言うので。展示の時にワックスのことだとわかりました。私はこればっかりかと(笑)。

小勝:あー、パラフィンドレスのことだと思った。

松下:と思って、ずっとずれたままに展示になってしまいました。これは2010年に…

小勝:2010年に作った?

松下:はい。

小勝:例のブラジルに参加したときですか?

松下:じゃないです。双ギャラリーでやったときですよね。

小勝:あぁ、双ギャラリー。

松下:写真の作品として成立するように、一点一点がドローイングで、パソコンに入れるとき劣化するので、パソコン上で写真の部分だけを入れ替えたり、いろいろ工夫があって。写真だけでやる機会がなくて、やってみたいとずっと思ってたんです。

小勝:個展「Mother’s Voice」(双ギャラリー)は2009年になってますね。

松下:そうです。

小勝:そのときの作品の原画ですか?これは。

松下:そうですね、写真で。

小勝:写真の原画。

松下:そういうことになりますね。

小勝:あの、松下さん独特の方法だと思うんですけど、写真を撮ったものを、これはプリントして、それにドローイングするんですか? 

松下:はい。この写真のときは、一眼レフを使ってフィルムで。これ、娘です。

小勝:あ、娘さんをモデルに使ったわけですね。

松下:この辻堂海岸で(笑)。そうなんですよね、ギャラも払って。

一同:(笑)

松下:焼肉付きのギャラを払って。

小勝:(笑)

松下:彼女はとてもモデルにいいんですよ。

小勝:なるほど。身体がしっかりしてますよね。

松下:自分が撮られてるんじゃなくて、自分はオブジェだということを彼女はとても理解してて。

小勝:なるほど。

松下:モデルの難しいところは、自分が撮られてると勘違いするんですけど、この人はちゃんとわかってるのが使いやすくて。撮ったものを、これフィルムだったので、フィルムスキャナでパソコンに入れて、フォトショップで洋服以外をぜんぶ消してしまうんです。(挿図17)


挿図17《Mother’s Voice》2022年 MV45 デジタルプリント MV62 デジタルプリント

小勝:えっと顔は?

松下:顔も身体も全部。このドレスだけ残して。

川浪:ふ〜ん。

松下:ここはぜんぶ空白なんですね、それを出力して、ドローイングを一枚一枚描いて。

小勝:えー! じゃ、この顔とか手足は描いたもの?

松下:描いたものです。

小勝:あぁ、そうですか。

川浪:恐ろしく手がかることをされてますねぇ。

松下:そう、2年かかりましたけど。

川浪:それをコマ撮りのように撮ったわけですか。

松下:これは、一番最初に作ったビデオと違って、パラパラ漫画のように置いただけです。背景も描いたもので、パソコン上で合わせてるんですけどね。レイヤーとして。

小勝:映像にするのはそのパソコン上で、こうコマ撮りしたものを合わせて。

松下:一点一点を作って、最初は形が大きかったり小さかったりですが、調整して画像を合わせてます。

小勝:なんかすごい膨大な手間がかかる作業のようですけれども。

松下:2年かかった(笑)

小勝:ねぇ〜。でもそれは映像としての発表は、双ギャラリーで少し出しているんですか?

松下:双ギャラリーで1回やって、あとは洞窟現代のときに映像を流しました。(「秘境を求めて」展、2013年)

小勝:さっきのパラフィンドレスのインスタレーションのときに。あぁ、そうでしたか、すごいですね。

松下:双ギャラリーがアートフェアに出して。反応は、日本人にはメルヘンとしかとれなかったようで、買った人は中国人、フランス人、オーストラリア人とか、外国の人に人気があったようでした。双ギャラリーの報告では、「日本人には駄目でした」と。

一同:(笑)

小勝:これは映像として売ったんですね。

松下:売ったんですね。

小勝:そうですか、なるほどねぇ。でその原画が残っているので、原画も個別に販売されてますよね。

松下:あ、そうですね。

小勝:はい。ということで、あの、相変わらずその松下さんの活動は多岐にわたり、オブジェとか写真とかドローイングとか…

松下:油絵も描いている。

小勝:油絵も描いて!

松下:このあいだ1点描きました。

小勝:今後はそういうのを組み合わせて、やはりインスタレーションでやる形で?

松下:これからですか? 私もわからないんですが、いつも制作はイメージが舞い降りるタイプなんですよね。

一同:あぁ〜。

松下:2月*に未発表のドローイング展をやったのですが、頭の中に、対峙するために作った中庭から、出入り口を作って外へ向かうドローイングをと思っていたら、突然、窓枠が、バラバラになった窓枠が舞い降りてくるイメージができて、作ったんですよね。
*個展「中庭の束縛」フジギャラリー新宿、2024年。

(隣室に移動して)

松下:これなんです。鏡が入るんですよ、こういう。

小勝:えー。すごいですね。

川浪:窓枠?

松下:これストッキングです。手鏡がところどころに少し入っていく予定でいます。こういう風に。

小勝:ストッキングに見えない(笑)。

松下:ストッキングですね。

小勝:窓枠の1つなんですか?

松下:はい。ふつうは、逆検証に時間がかかるんですが、これはかからなくて。

川浪:舞い降りたイメージから…

松下:そうですね。

川浪:起源みたいなものを遡っていく。

松下:これなんかは20年ぐらい経ってるんですけど、ようやく作品になりそうです。こんな窓枠が4本できて、あの「ニーチェの馬」じゃないですけれども、役割を放棄したと言ってるんですよ、窓枠が(笑)。こっちのは窓に映った風景を。

小勝:へー。

川浪:4本って、こっちにもありますね。

松下:これはセットなんで。

小勝:その4つで1つの四角を作る。あの窓を作るんですか?

松下:綺麗な四角じゃなく、バラバラになると思うんですけど。

小勝:あ、これはまだ未発表ですか?

松下:そうです、未発表です。これとこれがセットですけども。久々に油絵を描いてすごい楽しかったです。

小勝:そうですか。

川浪:ふ〜ん。

小勝:もう発表場所とかは?

松下:このあいだの西新宿で。時期はまだはっきりしてないですが。

小勝:なるほど。

松下:(手鏡を)買ったんですよ(笑)

小勝:えー、あ、鏡はたくさん買われたのね。

松下:ヤフオクで、10分で。

小勝:(笑)

松下:これは品川駅のガチャガチャで魅せられて。そういうときはもう買っておくんですね、何が何でも。(笑)

小勝:なるほど。

松下:こういうのが今、試作してる作品です。

小勝:はい。

松下:作っていくと、そこからまたイメージが出てくるので。何を出すかまだわかんないですね。

小勝:なるほどね。

松下:今までいろいろな形でやるようになったのは、平面じゃ表現できないから映像で、映像じゃダメだからオブジェで、と。

小勝:はい。えっとそれでもう一度、最後に、こちらの「女たちの言葉」のほうに。『私たちの女たちの発言』に戻りますけれども、これはあの「Women’s Lives」展で、枕の中に(入れた)和紙に印刷された言葉ですよね。それを入れるということで、私も手伝いましたけれども(笑)。(挿図18)

 

 

 

 

 

挿図18《すべての私たちの女たちの枕》2023年、「Women’s Voices 女たちは生きている」展、会場風景、撮影:菅実花
手前の台に『私たちの女たちの発言』を和紙に印刷して和綴じにした冊子を置いて、来場者が読めるようにした。その言葉が枕の中に一言ずつ入っている。

 

松下:枕を作っていただいて。

小勝:(笑)それでこの発言、本当にいろんな発言があって、どれもこれもあの納得させられるような発言なんですが、中でも群を抜いて数が多く、かつ素晴らしい言葉が松下久子さん、お母さんの発言なんですが。最後にその久子さん、お母さんについてもう一度語っていただけますでしょうか。

松下:えーと。

小勝:なんか本当に素晴らしい言葉ばかり。「一人になりなさい。なるべく一人でいなさい」とか、「あなたは少し合理主義者になってるから、優雅さを覚えなさい」とか。

松下:非難されましたね、それね(笑)。

小勝:(笑)

松下:怒られましたね。

小勝:「私の人生も満更でもなかったの。二十代、三十代と年代ごとに喜びはあるもの」。

松下:それは母が、丈夫な人だったんですけど、突然癌になって。

小勝:あぁ。

松下:4ヶ月間、入院だったんですね。父が私たち兄妹に飛行機の回数券買ってくれて、なるべく…

小勝:帰るように。

松下:母を一人にしないように、ローテーションを組んで兄妹全員で通いました。だんだん両足も動かなくなり、片手も動かなくなって。母が「あなたから見たら、私の人生はつまんないと思うでしょ?」「私だって、私の喜びがあった」と言ってました。だから何もつまらない人生ではないって。

小勝:つまり、職業としてのものは特に持たなかったけども…

松下:本当は医者になりたかった。

小勝:えぇ、えぇ。

松下:とっても頭のいい人で、古事記や日本書紀を原書で読んでいましたからね。父よりも字も知っていたし。

小勝:うん。

松下:だけど時代のせいで、医者にもなれず。

小勝:自分の才能を社会に生かすというか、認めさせることがあまりできなかった。

松下:できなかった。そういう面で「あなたから見たらつまらないと思うけど、そうでもない」「それなりの喜びがあるんだ」と。これはメモっていたんじゃなくて、2021年かな、アトリエ・Kの個展のときに枕を作って、そのときに「母の言葉入れたいな」と思いました。双ギャラリーの時に書いてたんですが、この図録に*。このテキストに、枕の下に詩の札を入れると願いが叶うという言葉があって。ぜんぜんメモとかないのに、ぽろぽろぽろぽろ〜出てくるんですよねぇ。
*松下誠子「枕物語」、「発見と創造」双ギャラリー25周年展カタログ、2010年。

一同:えぇ〜。

松下:びっくりするほど。ボンボン出てくるので。書き留めて。

小勝:なるほどね。

松下:あの時代に母はすごいフェミニストだったし、市川房枝さんを尊敬していた。父も、あの時代の教師はみな社会党で。お客様の多い家で、私の小学校の校長先生まで遊びに来るような感じでした。大人の話を聞くのが大好きでとにかく同席して、話す話は社会や政治的な話をしてるし。その中で母が一番賢いっていうのか。

小勝:へぇ〜。

松下:若い先生なんか母に字を教わってたり。

小勝:(笑)

松下:母は「物を知らない」と呆れてた。

小勝:まぁ、そういう意味で、そのお母さんの聡明さとか才能とかは、松下誠子さんを…

松下:いや〜。

小勝:作ったというか、ねぇ。

松下:確かに、20代でも学生のときでも、同世代と一緒にいるより母の方が刺激的なんですよね。

一同:すごいよねぇ。

松下:本人も面白いし、それから感覚も古臭くないわけで。むしろ友だちの方が古臭くて。

小勝:お母さんの言葉、「前衛になりなさい」ってのがあって。

松下:そうそう、私はとんでもないと。

小勝:(笑)

松下:前衛という言葉を母から初めて聞いて、「私は普通になります」と言っちゃったぐらい(笑)。

小勝:(笑)

川浪:あれですよね、フォアフロント、最前線に立ちなさいっていうことですよね。

松下:そういう意味ですね。最先端を見なさいということですよね。私が東京でいろんなことで疲れて「もう函館にいようかな」と言ったら「戻れ」「才能が埋もれる」と言われて、ひっくり返ったんですよ、自分に才能があるなんて思わないから。それを母が「才能が埋もれる」と。あれはなんだろう、「すごい、よしっ」ていうか、「やろう!」と思う気持ちになったんですね。

川浪:お母さんは娘を褒めるってことをよくされた方なんですか?

松下:いや…

川浪:天才少女って(周りから)言われた時代は?

松下:うちはそういうことは全然。絵が上手とか、すごいわねとかは一切言わないです。そんなことは会話にないです、うん。

川浪:でも「才能が埋もれる」って。

松下:初めて! 賢いとも言われないし、むしろ「聞いたことを二度聞くな」なんて。学校行くときも「忘れ物はないように」もないし、「決めるのはあなたよ」って言われるので、もうちょっとアドバイスをしてくれてもなぁって、後ですごく思いましたね。

小勝:(笑)へぇ〜。

松下:何かを相談しても「決めるのはあなたよ」って言われるんですよ。洋服を選ぶのでも進路でも、すべて「決めるのはあなただ」っていうので。ただ勤労とかは教えられなかった(笑)。

小勝:そうですか(笑)

松下:例えば、「芸は身を助ける」のような言葉は、言わなかったですね。

吉良:手に職みたいなことは全然ない。

松下:そういうのは、逆に卑しいと思ってたんじゃないのかしら。

小勝:お母様はね、もう有産階級というか、あの財産があるので。

松下:うーん。

小勝:食べるための勤労は必要ない方だったわけですよね。

松下:美容院だって、家で髪洗わないで一日おきに美容院に行く。

一同:(大笑)

松下:ボランティアはしてましたね。そういう活動はやってましたけど。だから母に「あなたと私は違うわ」と。でも、世の中でこのぐらい言ってくれる大人もいないし、刺激的だし。母の方が最先端な気がして、本当によく母の話を聞いたり一緒にいました。

小勝:いや、本当にこの「女たちの発言」の中の、特に松下久子さんの発言を読めて、あの「Women’s Lives」の展覧会でも本当によかったなと思って、ぜひそのお話を聞きたかった。

松下:ここに入れ忘れたのは、「凡庸は暴力を生む」というのは後で思い出した(笑)。

一同:(大笑)

松下:なるほど、と思って。

小勝:すごいですねぇ。

松下:学習院*の(個展の)ときに、白いリボンのキャンペーンで「暴力はどこから生まれるのか」というのが、あのときのキーワードだったんです。そのときに思い出して。母がそういえば「凡庸は暴力を生む」って言ってたな、なるほどなぁと、ぽっと思い浮かんだんです。(笑)
*個展「不可侵のパラフィンドレス リボンのキャンペーン」学習院女子大学文化交流ギャラリー、2021年。小勝が博物館実習の非常勤講師でとして、学生たちと松下誠子の作品を展示した。

小勝:あの松下さんから提供していただいたその展覧会の概要なんですけれども、「女性や子どもへの暴力とは、男性が弱者である女性、子どもに何か強制的な力を行使して、自分の思い通りにすることである」と。「そうした暴力は昔からあって、生活の一部にもなってきた。根本原因は、社会を支配している男性優位のシステムがある」。

松下:やはり家父長制だと思いますよね。

小勝:家父長制。

松下:一番にそれがあって、暴力が今度は戦争になっていくわけですし。

小勝:「その(家父長制の)結果に暴力が発生すると考えられる」と、ここでも書いていらっしゃって。ねぇ、学生たちにとっては初めて聞くようなことだったと思いますけれども。

川浪:「子どもは私物ではないのよ。社会の子なのよ」って、これもすごい言葉ですよね。

松下:私が子どもを産んだときに言われましたよ。「私物じゃない」って。

川浪:「才能が埋もれる」とおっしゃったお母様はきっと、アートやアーティストとしての誠子さんの活動もやっぱり社会に向けての意味があるって理解していらっしゃる方なんだなと思いました。

松下:私がびっくりしたのは、普通は絵描きとか画家とか言うじゃないですか、会話の中で。うちの父も母も私のことを褒めたりはしないですけれど、人に紹介するときは「うちの娘は芸術をやっております」と言うので、身が引き締まりました。

小勝:いやぁ、すごいですねぇ。

松下:ただ「絵描いてます」とか「絵描きです」とかじゃなくて、アーティストもアートという言葉も知らなかったかもしれないですが、芸術という言葉をきちっと使うので、逆にこちらが芸術にしなければと思いました。

小勝:すごくいいご両親ですね。本当に。

小勝:そろそろもう、いつまでもまだまだお聞きしたいことはたくさんあるんですけれども、お時間ですので、最後にもう一つだけ。

松下:はい。

小勝:最後の締めにいつもお伺いしてるんですが、次の世代の女性たちに向けて、アーティストになる人もそうでない人も、あるいは、まあ男性も含めてでもいいんですけれども、何かこうアドバイスがあったら。先を行く者として何かあったらおっしゃってください。

松下:アドバイス…私はもたもた生きて、もたもたしたような感じなんですけれど。

小勝:いえ。

松下:自分の中ではすんなりいかないで、行ったり戻ったりしながら歩んでる感じがするんですけれど。今の若い人を見てるとみんなすごいし、知識量もすごいし、コンセプトもきちんと言えるし、とても優秀ですよね。将来の目標もはっきりしてる。

小勝:はい。

松下:大学の教育もあるとおもいますが、ヨーロッパのスタイル?みたいな、表面だけがこう日本に入ってきて、コマーシャルギャラリーの勢いのある、そういうところで若い人は企画される、されないという話をよく聞くんですが、なんか逆にかわいそうだなと思うときがあります。ぼうっとして留まる 、立ち止まることができないような時代に生きてるような気がするんですよね。

小勝:タイムパフォーマンス、なんだっけ? タイパとか言われたりねぇ(笑)。

松下:私たちのときは、「続けることが才能」と言い聞かされてきて、続けないと駄目だなと思ってる。続けるのには、環境を作るのも才能って言われてますが、でも場所がない、時間がないのは、私の体験ではどこでも作れるし、表現方法も伝えたいことがあれば、その許された環境でやっていける。大事なのはイメージだと思うんですよね。

小勝:はい。

松下:イメージを大事にしないとできないような気がします。じゃあ、どうやってイメージが湧くか。イメージがなきゃ作品はできないし、そのためには各分野、いろいろの方面に、歴史や音楽や日常に生きる人の生き方でも何でも、そういうものに目を向けたらイメージは保たれるのではないかなと思いますけど。アドバイスっていうほどではないけれども。

小勝:いえいえ、やっぱりぼうっとして留まって、こうね、周囲を見回す。

松下:うん、それでも遅くないと思うので。慌てることはないのではないかなと思います。怒られるかも(笑)

小勝:お二人からも何か、聞き逃したことがあったら。

川浪:もう十分聞かせていただいたんで、感想的なことを言うと時間がもったいないですけど。お話聞いていて、「形は…既にこちら側の体内にある」*っていう松下さんの言葉を思い出しました。イメージが降りてくるという言い方には、実は自分の中にあるものがタイミングを見て、留まったり立ち止まったりしたときにふっと思わぬ方向から舞い降りてくるみたいな感じかな、と…
*松下誠子「革命前夜」、『松下誠子展 「革命前夜」』パンフレット、RED AND BLUE GALLRY、2017年

小勝:えぇ(笑)

川浪:そんなふうに思いました。

松下:すでに自分の中にあるんだろうと思って。それってなんだろうと思うと、いろいろな人の関係性ということじゃないんでしょうか。

小勝:吉良さんからはないですか?

吉良:どうにも試行錯誤しても、うまくいかないときっていうのはあるんですか?

松下:それはしょっちゅうあります。

吉良:そういうときのやり過ごし方、向き合い方っていうのは何かありますか?

松下:イメージが湧いて、このフォルムを生み出したいというのもあるんですが、逆検証ができなければ、フォルムだけできても発表できないですよね。ディテールや色とかいろんなことは、逆検証ができて作品の方から教えてもらうというのか、私はこういうことを考えていたんだとわかるまで待ってます。

小勝:うん。

松下:(そうでないと)作れないです。

小勝:うん、そうですよね。湧き出てこないとね。

松下:イメージだけでもダメだしね。じゃあどうやって…

小勝:現実に実現するか。

松下:自分と直結できるとか、そういうものないと作品化はできないですね。

吉良:そういうとき何か情報をインプットしたりするっていうのはあるんですか。

松下:そればっかり考えてる。頭の中にいつもあるわけですから、歩いてるときでも何でも頭にそれがあれば、何かのときにピッと。

小勝:(笑)

松下:うん、例えば人の作品からも「なるほど」と思うこともあるし、逆に真似てはいけないということもある。多分いつかは来ると。こっちにあるのは20年経ってる(笑)

小勝:(笑)

川浪、吉良:へー。

松下:これは、いびつな形であそこにもあるんですが、とりあえず作って置いてるんです。でもそこからどうするかは、イメージはつながらない。なぜあの形が湧いてきたのかもわからなくて。もたもたするんですよ、私(笑)

小勝:(笑)

松下:ぱっぱっとやれないんですよね。

川浪:いやいやぁ、もたもたが大事。

松下:なかなかできないですよね。

川浪:なんか人生を学ぶ場のような(笑)、吉良さんの悩みにも少し答えていただいたかと(笑)。

松下:いや、作品ってそうじゃないですか? わからないと作品はできないので、それは諦めます。

川浪:私たちは観る側の人間ですけど、観る人間もやっぱり自分の生きてきたことと、生きてることを重ねて観てる部分があるから。共鳴、共振みたいなものがどこで起きるかというのはわかりませんから。

松下:作品って、観る人がいて初めて形を成すわけだから。こっちは問いかけだけで、ここまでわかったけど答えがないので、観る側がそこで結ぶというのか、焦点が合って。だから観る人が大事ですよね。観る人がいなかったら…

小勝:本当ですね。

松下:解釈できる人。だから観る人も同じ想像力が必要で。

川浪:本当に。

松下:観る側の想像力と同等だと思うんですよね、あの作る側と。私は形にするけど。

小勝:ちゃんと観る人がいないと、せっかくいいものを作っても理解されないですからね。

松下:ただの形で終わるわけだから。

小勝:そういう意味ではそれから、あの、誠子さんは時代に先んじすぎていたところもおそらくあったんじゃないでしょうかね。90年代に、日本であまり評価されなかったっていう…えぇ。

松下:ドイツでは多少は売れたので、すっかり私の作品は売れるんだと勘違いもして。

小勝:(笑)。はい、ではそろそろ。

松下:ありがとうございます。

一同:長時間、素晴らしいお話を本当にありがとうございました。

 

別室にて
松下さんの心に引っかかった展覧会のフライヤー

 

 

 

 

作品になるオブジェたち

 

 

 

作品になるオブジェたち

 

これは作品ではなく… 中国の調度品